ミトコンドリア・イヴの誤謬

 

 Twitterをしていたらこういうツイートを見つけた。ここでは「現在の日本の感染はわずか二つのクラスターから広がった」から「あと2クラスターにまで追いつめてた」を結論として出しているが、この推論は間違っていると思う。

 この間違いかたは僕が勝手に「ミトコンドリア・イヴの誤謬」と呼んでいるものと同型のものだと思う。ただ、この「ミトコンドリア・イヴの誤謬」についてはけっこうこれまで何回か考えてきたのだけど、けっこうわからないところがあって、今回はちょっとそこを整理して書いてみたい。

 

1.このTweetの間違いについて

 現在の日本の感染はわずか2つのクラスターから始まった、ということは、現在では連鎖が途絶えてしまっているけれど、ちょっと前までは連鎖が続いていて、それをさかのぼれば上述した2つのクラスターと同時期にあったクラスターまで連鎖をたどれるようなクラスターがある、ということを排除しないので、「現在の日本の感染はわずか2つのクラスターから始まった」から「ある時点ではクラスターが2つしかなかった」を直ちに結論づけることはできない*1

 最終的に系統として生き残ったのがその2つだけであって、その2つのクラスター以外にも当時クラスターはたくさんあったよ、という場合があるということですね。

 

2.ミトコンドリア・イヴについてのよくある勘違い

 これはミトコンドリア・イヴに関するよくある勘違い(僕は勝手に「ミトコンドリア・イヴの誤謬」と呼んでいる。「誤謬」とつけるとかっこいいので。)と似ていると思う。

 人間の細胞にあるミトコンドリアにはミトコンドリアDNAという、人間のDNAとは別のアナザーDNAがあるのだが、これは通常母方からしか遺伝しない。この特徴から、人類には母方の共通祖先、つまり、家系図を母方へとさかのぼっていけば人類誰からはじめても続けていけば必ずそのひとにたどりつくような女性「ミトコンドリア・イヴ」を見つけることができる。

 しかしこのことは、この女性が(過去生きていて今は死んでいる人も含めた)全人類の起源である、ということを意味するわけではない。

 

 このことは、Wikipediaの「ミトコンドリア・イブ」のページに詳しい。

 

3.しかしこのWikipediaページもちょっと怪しい

突然変異は、中立説にもとづくなら、その発生頻度は経過した年月と相関すると考えられている。すると、二つの民族間でDNA配列がとてもよく似ているということは、分かれた後に起きた突然変異が少ないと言うことで、より最近にわかれた民族であるということを示す。逆にあまり似ていない配列は、たくさんの突然変異を蓄積してきたと考えられ、古い時代に分かれた遠い民族であるという基本的原理が成り立つ。

ミトコンドリア・イブ - Wikipedia

 これは完全に本題とは関係ないのだけど、ツッコミをついでに入れてみたい。ここでアンダーラインを引いた「中立説」は、「中立進化説」や「進化の中立説」を記述したページにリンクが張られているのだけど、これも違うと思う。

 ここでは、突然変異の発生頻度に時間的あるいは空間的な偏りができるようなイベントは考慮しない(たとえば、太陽活動が活発になって紫外線が降りそそぎ、突然変異が増えた時期があった、とか)ということが言えれば十分であり、それを言いたかったのではないかという気がする。ここで「中立進化説」にまで言及する理由は、個人的には分からない。

 

4.では、この2クラスターさえ潰せていれば、いまの感染拡大はなかったのか?

 上掲したツイートから飛ぶことのできるNHKのページには、「黒田センター長は、第1波で残った2つのクラスターを早期に見つけ出し、対策を行っていれば、6月の段階で感染を抑え込めた可能性があるとしています」という一文がある。

 これが本当にそうなのか、というのが、僕がずっと考えていて、いまだに納得のいく結論が出せていないことである。

 

 まず、この黒田センター長の発言は、先ほど検討した「あと2クラスターにまで追い詰めていた」ということとは違う、ということを確認してほしい。当時その2つ以外にもたくさんクラスターはあったが、このふたつをなんらかの方法で特定して潰せていれば、今回の感染拡大はそっくりそのまま一切なかった*2、と言えるかどうか、ということである。

 

 もちろん、どの2つが将来まで生き残る「犯人」クラスターなのかは、事後的にしかわからないので、現実的には狙ってつぶすことは不可能なのだが、ここで僕がしたいのは現実的な話*3ではない。たとえば、タイムマシーンがあるとして、いったんどのクラスターが犯人なのか特定してから時をさかのぼって、そのクラスターの発生源を叩けるとする。そのとき、現在の感染者はなかったことになってしまうのだろうか?

 

 おなじことが、ミトコンドリア・イヴにも言える。特定されたミトコンドリア・イヴを、タイムマシンで赤ちゃんのうちに殺害してしまったら、現存する全人類は(ある人の直系の祖先のうち誰か一人でも存在しないことになったら、その人は存在できなくなるので)存在しなくなってしまうのだろうか?

 

 もっと抽象的にすることもできる。原因と結果からなる系列で、宇宙の全出来事を表すとしよう。ある出来事は複数の結果を生み出すが、なかには結果となる出来事をなにも生み出さない出来事もある*4とする。

 そうすると、出来事を因果関係で結んだ「出来事の系列」は時間とともに減っていく一方であるので、現在起きている出来事をさかのぼっていけば、どこかの時点で共通の原因にたどりつく。

 これまでの議論と同様に、この「共通原因」はその時点での唯一の出来事ではなく、そのほかにも出来事はたくさんあり、この「共通原因」もちゃんと原因を持っている。この「共通原因」は、その時点ではほかの出来事と比べてなんら特別ではなく、たまたま、将来この「共通原因」を始めとする系列以外がなくなってしまうというだけである。

 この「共通原因」さえ、なんらかの理由で止めてしまえば、最終的に宇宙に出来事はなにひとつなくなる、ということになる。

 

 しかし、過去のその時点ではなんら特別ではないある個体を排除してしまうだけで、それ以降のある時点における全個体に影響を及ぼせるというのは、直感的にはおかしいように思う。

 

 おそらく、事後的にわかる共通原因に因果推論を当てはめることに問題があり、その結果この問いかけはナンセンスである、ということになるのだと思うが、では具体的にどのような問題があって、どういうふうにナンセンスになっているのかがずっとわからない。

 もし、知っている人がいたら、LINEで教えてくださると非常にうれしいです。*5

 

*1:それ以降の日本の対策がまったく機能しておらず、ウイルスの感染力も旺盛なので、その時点以降連鎖が途切れたクラスターの系統がひとつもなかった、……というような前提を加えれば推論として成立しはする。しかしこの前提を実証的に示すのはほぼ無理でしょう。

*2:検出されていない感染者が別系統のウイルスを持っている可能性は無視して考えている。

*3:ちなみに、問題を、「2つのクラスターを早期に見つけ出して対策を行っていれば6月の段階で感染を抑え込めた可能性がある、とする主張はナンセンスか? それとも有意味か?」というふうにすれば、内容はそのまま保ちながら、すこしは現実の社会に応用可能になる。

*4:「結果となる出来事をなにも生み出さない出来事もある」かどうかはまったく自明ではないが、ここでは踏み込まない。

*5:また、今回は系列どうしに交絡がないことを前提にしている(たとえば、「ミトコンドリア・イヴを殺せば全人類死亡!?」というケースでは、「現在存在する人類が生まれなかったことにより、この人たちが殺してしまった別系統のイヴを持つ人類の集団が生き残り、そっちが最初の現在の人類とは別個体だけどおなじように繁栄する」といった解決策を検討していない。)が、こういった交絡はいま問題にしている「系列と因果推論の枠組みから出てくるパラドックス」とは独立に考えられる(たぶん。ここもそんなに自明ではない)ものであり、そういう、問題とは独立に考えられる要素が影響してこないと解決できないパラドックスが枠組みにあることはやっぱり良くない(良くないとは思うが、なぜ良くないのかも自明ではなく、個人的にはなにもわかっていない)と思う。もちろん、交絡をつかって説明してもいいんだけど、それだけではなく、系列をたどることと因果推論を組み合わせることに本質的な難点があって、それを示すことでもこの問題は解決されると思うし、そっちの解決ルートのほうが納得がいくのではないかと思う。