気づいた人が片づけて


 気づいた人が片づける。それが街の暗黙のルールだった。

 

「だとしても、人が少なすぎないか?」
「これは午後までかかるな」

 今朝がれきの山になったのは、名城7-9-11にあったちいさな住居で、朝7時半には僕を含めて39人がその前に集まっていた。そのあと、話し合って、現場経験数や年齢、資格の有無などを考慮してとりあえずの役割分担が決まった。ひとり、ヘルメットと軍手を忘れてきた人がいたため、たまたま予備を持っていた僕が貸してあげた。8時には流れてくるラジオのチャンネルを合わせて、音楽に合わせて体操をしてから撤去作業を開始した。街のいつもの一日だった。

 

「俺はよ、子供のころから、空を見る癖があるんだよ。なにかがわからなくなったとき、空を見るんだ」
「空を見たらわかるのかよ」
「だからミサイルをよく見かけるんだよ。今月はこれで9回目だ。多いだろ」
「多いからなんだよ。骨が折れるだけだよ」
「ちげえよ。毎月十何回もやってんだから、今じゃどこでも現場監督だ。作業員よりはちょっとは楽だ」

 

 10時には小休憩があり、給水所でお茶を飲んでいると、さっきヘルメットと軍手を貸してあげた男が近寄って来て、軽く会釈をしてきた。僕も返した。それで彼は、水筒にお茶を汲んで戻っていこうとしたのだけど、目をそらすときにすこし物足りなそうな表情していて、僕はそれが気になって、呼びとめてみた。

「今日は、意外と進みが早いね」
「……だね。午後まではかかるだろうけど、そんなに遅くはならなそう。……現場監督が有能だ」

 僕はさっき立ち聞きした、空を見る癖のある現場監督の小話をした。「それは、……怪我の功名って言うのかな。……違うか」彼の返事は、どういう反応を返せばいいのか迷って、先に行くにしたがって小さくなる声だった。「べつに、違わないよ。ただ俺が話したかっただけだよ。申し訳ない、気を使わせて」「いいや、気は使ってないよ」

 気楽に話せそうな相手だと直感したが、その直感を確かめるには15分の休憩では足りなかった。12時になったとき、僕と彼は近い場所に座り、配布された弁当をそこで食べた。

 

 「現場はけっこう来てるんだね」僕は彼に言った。作業中の彼の様子をたまに盗み見ていたのだ。ぎこちない様子はなかった。「最近は多いね」彼は答えた。「俺が暇な時だけミサイルが飛んでくるように思うよ」

 国の全土がミサイル攻撃を受ける可能性のある場所になってから、もうそれに慣れるくらいの時間がたった。ミサイルはどういうわけか静かだった。だから、偶然空を見上げたときじゃないと気づかなかった。飛行する姿をいちど目に捉えると、目を離せなくなってしまうような優雅さがあった。航跡をたどっていくと、破壊された家にたどりつく。そこにやってきた面々で、がれきの撤去作業が行われる。ほかの街ではどうしているのかわからないが、この街ではそうだった。

 僕はヘルメットと軍手を貸してあげた彼と、お昼休みのあいだずっとミサイルの話をしていた。いつかは俺たちの上にも降ってくるかもしれないものの話を。

 

 午後の作業が始まってしばらくして、がれきの中から遺体が見つかった。遺体を引きずり出して保健所へ引き渡すのは誰もがやりたがらない仕事だったが、今日は僕と彼で率先して引き受けることにした。作業はスムーズに進んだ。

「どうだ? なにか思い出したか?」

 戻ってくると、現場からは外壁がほとんどすべて取り除かれ、最後に犠牲者の生活の残骸を運び出すフェーズに入っていた。空を見るのが癖の現場監督がいじわるな笑みを浮かべて僕らに聞いてきた。僕はむっとして答えなかった。

 ミサイルの犠牲者は、関わりのあった人々の胸のうちに残した記憶ごとこの世からいなくなってしまう。べつの言いかたをすれば、ミサイルで死んだ人のことを、街の住民はきれいに忘れてしまう。事実として、そういう兵器なのだ。

 しかし、たまにふっと、死んだ人のことを思い出す人もいて、そうなったら、そいつが次の犠牲者になる。……というのが、撤去作業現場で何度も繰り返しささやかれ続けている噂だった。口先では冗談にしていたけれど、みんな
心の中では信じていた。

 「悪かったよ」現場監督は、言葉の上では非礼を謝った。「だって手を挙げて死体運びに行く、ってやつがふたりもいたんだからな。死んだのが知人だってわかったとか、勘繰るのも仕方ないだろ」けれどそう付け足したので、本当に悪いとは思っていなかったのだろう。

 

 僕と彼も最後の作業に加わった。破片になった鏡や焼けた衣類を運び出しながら、ここにいたのが僕の父や母、あるいは兄弟や姉妹、友人、近くのスーパーのレジ係や補充係、連絡を取らなくなった昔の同級生、……などであった可能性について考えた。

 作業は15時前に終わり、今朝がれきの山だった土地は平らな更地になった。15時からあるはずだった小休憩で配られるはずだったちょっとしたお菓子をもらって、作業協力金を受け取り、僕は帰り道についた。

 

 3分ほど歩いたところで、ヘルメットと軍手を返してもらっていないことに気づいた。……まあ、いいか。ヘルメットも軍手も、予備で持っていただけだし、月に十何回も使う物じゃない。安く買えるし、現場でもらえることもある。そもそも、貸したやつだって、自分で買ったわけじゃないし。

 

 と、そこまで考えたところで、あのヘルメットと軍手がどこから来たものなのか、思い出せないことに気づいた。疑問を置き去りにはできなくて、しばらく立ち止まった。強烈な違和感だった。そのヘルメットと軍手を、ずっと持っておこうと考えていたはずだった。だから、予備があって、彼に貸してあげられたのだ。最初から予備にと思って2つ持っていたわけじゃない。忘れてしまっているなにかがあったはずだった。

 僕はしばらく立ち止まって、考えを巡らせた。……そしてすこしだけ、すこしだけ、思い出せたような気がする。

 

 走って戻った。彼は余るお菓子を持ち帰ろうと企んでいて、まだ現場に残っていた。ヘルメットと軍手を返してくれ、と伝えると、彼は意外そうな顔をした。そのままくれるのが当然と思っているような表情。

「ごめん。返してもらわないといけない」
「もちろん。……そっちの持ち物だしな」

 走って帰ろうとすると、彼に呼び止められた。「なに?」すこし険のこもった声になっていたかもしれない。だけどもう、他人に与える印象なんて気にしていられるような精神状態じゃなかった。彼は、僕の反応に驚いて、呼び止めてまで言いたかったことを忘れてしまったみたいだった。

「いや、ありがとう。ヘルメットと軍手」
「ああ。大丈夫」

 そのまま、すこし、気まずい無言の時間が流れた。

「…じゃあ、俺は行くよ」
「ああ。お疲れさま」

 「俺のことは思い出すなよ」、……そう伝えたかったけれど、それが逆効果になることはわかっていたので、言わずにこらえた。それから家に帰るまでのあいだで、今まで忘れていたほとんどのことを思い出した。ひとつのとっかかりに気づけば、あとのことをひとつひとつ思い出していくのは簡単だった。

 

 シャワーを浴びて細かい砂埃を落としたあと、ベッドに横たわる以外のことは何もできなかった。汚れたままのヘルメットと軍手を抱きしめて、こらえられない涙の言いなりになっていた。

 明日空を横切るミサイルは低空飛行で、まっすぐ僕をめがけて飛んでくるかもしれない。恐ろしくて正気ではいられなかった。「俺のことは思い出すなよ」届くはずはないけれど、そう祈った。同時に、気づいてほしいとも思った。

 

 この部屋のすべてがばらばらになり、集まった人たちがそれを片づける。そのときに、ふたつあるヘルメットを見て、死んだのが僕だということに気づく。……そんな光景をイメージすると、なぜか少しだけ、救われたような気分になった。