100兆ジンバブエドル

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 高校1年のころの数学の先生は生徒のことが好きな先生だったし、生徒にも好かれる先生だった。彼との初絡みのことをいまでもおぼえている。全校集会のために学校全体が移動しているのだけど、うちの高校は動線が弱く、三階から二階へ下る階段の踊り場付近で大渋滞が発生していた。そのとき先生が音もなく僕の背中に忍び寄ってきて「こうまで渋滞していると"リレミト"使いたくなるよね」と言った。

 

 「オタクかこいつ?」と思って当時は若干引いたのだけど、「リレミト」が通じる相手を一瞬で把握した選球眼はいま思うとすごい。そういった観察力というのが、一流の教師の資質なのでしょう。

 

 その先生については、もうひとつかふたつエピソードがある。先生は毎回の授業の初めに時間をとって復習の小テストを課していたのだけど、あるときプリントを配り終わったあともったいぶって、「今日の最後の問題は、教えていない問題なので解けるわけないです。もし解けた人がいたら、……どうしようかなあ、なんか自腹で買ってきてその人にあげるわ」と言った。

 

 そのときにもらったのが100兆ジンバブエドル札である。慕っている先生に対して自分の実力を示し、それに見合った記念品をもらうというのは、10代半ばの勉強が得意な少年にとっては誇らしい出来事だった。高校3年間のあいだ、栞として、読んでいる途中の本にずっとこの100兆ジンバブエドル札を挟んでいた。

 

 その先生は新任で、1年間しか僕らの学校にはいなかった。任期の終盤には結婚式をするということだったので、みんなでメッセージビデオを撮った。数学ⅠAが終わり、数学Ⅱの「図形と方程式」という単元に入っていた。多くの生徒を躓かせる悪名の高い単元である。

 

 2月ごろにあったその回の数学のテストで追試を免れる点数をとれたのは学年で僕だけだった。授業時間を使って追試が行われることになり、解答用紙と問題用紙と計算用紙が机に配られた。僕が問題を解く必要は一個もなかったので、とくになにもせずボーっとしていたのだけど、試験監督をしている先生がちらっと視界に入ったときに、いいアイディアを思いついた。

 

 「ご結婚おめでとうございます。新しい学校でも頑張ってください」というメッセージを1文字ずつ、解答用紙の空白に入れていき、余った欄には「!」を入れれるだけ入れた。最後に1問だけあった記述式問題の長い空欄には、もうすこし内容のある、ちょっとしたお手紙のようなものを書いた。

 

 テスト返却の日には、赤い文字で大きく「0点」と書かれた答案を受け取った。ひっくり返して裏を見ると、「テスト中、なにか様子がおかしいなと思って見ていたら、そういうことですか」という書き出しから始まる、僕のメッセージへの返答が、赤ペンで、解答用紙の余白にびっしりと書いてあった。その一節を、いまでも思い出すことができる。

 

最初に教えていない問題を出して、それが解かれたとき、このクラスにはすごいやつがいるなと思ったものです。(…)私の持論ですが、世のなかには早熟タイプと大器晩成タイプがいて、ゲームではだいたい後者のほうが使えます。君はこれからも努力を続けて、早熟とか大器晩成とか以前に、ただの天才だったんだってことを見せつけてください。

 

 さて、ここで僕の現状をふりかえると、早熟とか大器晩成とか以前にただの弱キャラなのでは…?という感じの人生曲線を描いてしまっている。これで早熟だったりただの天才だったという線は完全に消えているが、ひょっとしたらまだ、大器晩成タイプであるという可能性は残っているのかもしれない。

 

 100兆ジンバブエドルの入った口座から、折れそうになるたびにすこしずつ勇気を下ろして、これからも粛々と生きてゆきます。先生、ありがとうね~!