漫才をやったことが

 

 僕はある。ひとのまえで漫才をやるというのは個人的にはとても難しい経験で、いまでもあのときの緊張と吐き気を思い出すことができる。思い出そうとせずとも、すべっているプロではないひとの漫才を見たときとか、そのときのことが勝手によみがえってきてしぜんとうずくまってしまう(精神医学の用語ではフラッシュバックにあたる経験である)。思い出というよりはトラウマなのかもしれない。

 

 最初にやったのは高校1年生のとき。住んでいた学生寮で行われる夏祭りに、1年生の男子はなんらかの芸をさせられるという制度があり、そこでもうひとりの同級生(学年で1番のイケメンだといわれる男だった)と漫才をやることになった。

 やったことないけど、漫才、俺にはできるだろ…、うし! 全員笑わすぜ!と思っていた。しかしその時期の僕はとても陰キャで、クラスでは非常に浮いていた(僕がクラスになじめるようになったのは「火の鳥」というギャグでクラスメイト達に発見される10月くらいのころだった)ので、なんでそこまで自信があったのかいまとなっては思い出せない。べつに漫才が好きとかだったわけでもない。まだ自分のことをシンプルに無敵だと思っていたのだと思う。

 

 そのときは、みじめなほど場が凍るわけでもなく、かといって、身内のやさしさ以上の笑いが起きるわけでもない、ふつうの感じで終わった。

 

 高校2年の冬に修学旅行があり、それが漫才をやった2度目、……そして最後である。修学旅行に際して、学年の有志があつまり、くじでシャッフルして漫才コンビを作り、修学旅行まで練習して旅行当日に旅館でネタを見せ合う、……そういう企画が行われた。

 僕とペアになったのは、中学校時代の友人によると「あいつを倒したい、と友人の全員が思ってある日10vs1くらいで奇襲を仕掛けたんだけど、最終的に立っていたのはあいつだけだった」というくらい体幹の強い男であった。体幹とおなじくらい面白さでも知られていて、学年でもいちばん面白いといわれていたのではなかったか。

 

 僕も僕でそのころには「勉強もできて面白い」という良い立ち位置を確立していたので、このペアは優勝候補と目されていた。ネタの打合せもスムーズに進み、手前味噌ながら、かなり自信のあるネタができた。

 練習終わりのある会話を再現しよう。

 

ぼく「面白いのできたじゃん!」

相方「いや」

ぼく「え?」

相方「まだだ」

ぼく「そうなのか?」

相方「自分のネタをやって、自分で面白いと思っているうちは練習が足りない。面白いとおもえなくなるまで、なんども繰り返してやろう」

ぼく「……! やろう!」

  京都の旅館の和室に忍び込んで、身内20名くらいのお笑いショーがはじまった。ネタの面白さどうこう以前に、ふだんから遊んでる友達たちが、それぞれ自分で考えて練習してきたものを見ることがおもしろくないわけがなく、ずっと笑っていた。し、あのときのネタはみんなそれぞれのオリジナリティがあって、みんな恥ずかしがらずにやりきっていて、身内びいきなのかもしれないけれど、本当に全員が面白かった。すべったひとはひとりもいなかった。

 

 そして僕と相方の友達の番がくる。これがいま思い出すのもつらいトラウマである。つかみは僕の考案したボケだった。はじめてのデートという設定で、待ち合わせ場所に待っている相方の友達のうしろに気づかれずに忍び寄り、後ろから急に「なーぜだ?」といいながら眼をふさぐいたずらをする。これがけっこう面白かったんですよ。めっちゃ面白くないですか?

 実際、さっきまでとはトーンの違う笑いが起きていて、こんな身内の遊びのなかで、身内を超えた面白いことができた! と思って、うきうきした。ステージに立つって素晴らしいことなのかもしれないと思えた。

 

 そのあと、すこし込み入った早口の言葉でボケるところで、3回連続くらい僕が噛んでしまって、……そのままやりきればよかったんだけどってその晩は反省したし、なんならずっと心に引っかかっているが、とにかくその場は、「ごめんなさい!」と謎にみんなのほうに謝って、つぎのボケに進んでしまった。その瞬間、身内の遊びのトーンを超えたと思っていた盛り上がりは、ちょっと同情するような身内のやさしい笑いにかわった。それが情けなくて悔しかった。

 

 はるか時間がたって、あのころの友人たちとは幸いにもまだつき合いがある。飲み会のときなどに、この修学旅行の施設ドリームマッチの話になることもある。「たのしかったよね!」と口では言うけれど、あのときのすこしのミスのあとの選択を、そのたびに苦々しく思う。

 動画が残っているらしく、だれかがデータを持っているらしいが、……正直見返したくない。そのあとはいまのところ一度も、漫才をやったことはない。