リスペクトに欠けることの必要さ~藤野可織『ピエタとトランジ〈完全版〉』~

 

「森が水晶化して、そのうち人も水晶化していくの。そんでみんな水晶になって世界が滅びるの」

ピエタとトランジ <完全版>

ピエタとトランジ <完全版>

 

 

 藤野可織さんの小説、『ピエタとトランジ〈完全版〉』を読んだ。面白かった。トランジはとても頭のいい名探偵だが、彼女に関わったひとはなぜかみんな殺されてしまったりぎゃくに人を殺したりしてしまう、という不思議な能力を持っている。ピエタはトランジのパートナーで、なぜか彼女だけはトランジの影響を受けず、殺しも殺されもせず側にいられる。

 そんなふたりの女性が、成長し老いていく(それと並行して人類の社会はめちゃくちゃになって終末を迎える)お話がこの『ピエタとトランジ〈完全版〉』である。

 

 モチーフにしている「探偵小説」の取り扱いかただったり、人が人を簡単に殺してしまうようになる社会という思考実験の取り扱いかただったり、フェミニズムの取り扱いかただったりが、非常にリスペクトのないものなんだけど、そのリスペクトのなさは効果として選択してやっているような感じがあって、その開き直りかたが非常にナイーブな小説ではある。

 

 主流となっている社会の構造にたいして異論を唱える側は、主流派の議論を包括するさらに広い土俵の上で思慮深くふるまわなければいけない、というプレッシャーがかかりがちだけど、そのプレッシャーにつきあっていると、こういうナイーブに訴えかけてくるようなお話は作りづらい、とあらためて思った。

 

 ピエタとトランジがパートナーシップを結び、試練を突きつけてくる世界にたいして、たまにダメージを受けるけどそれでも基本的には優位になっている。社会の崩壊も時の経過も、基本的には彼女たちの安全な空間に危害を及ぼすことはできない。徹頭徹尾、性的な対象化や消費とは無縁で生きていく。

 お話としては良くも悪くもとてもナイーブなのだけど、こういう作品が世の中には必要だし、もっと言えばあと100個くらいあったほうが良いと思う。

 

男は一般的に体力、筋力に恵まれているからすぐ殺すし、おのれを過信して身を守らずすぐ殺される。

 この小説にはもととなる短編「ピエタとトランジ」があって、〈完全版〉のあとにそれも収録されている。短編のほうはあまりにも「女子高生」というきらきらイメージを無批判に使いすぎた、ということで、その反省から生まれた〈完全版〉だということを作者の藤野可織さんは言っていた。

 

 実際〈完全版〉ではふたりが中年~老年になってからのエピソードにも紙幅が割かれているのだけど、主人公たちが年を取ることに、小説の主題である「無敵なわたしたち」を描くための道具立て、以上の意味が見出しにくく、ここもかなりリスペクトのない書きかたをしている。

 

 『ピエタとトランジ〈完全版〉』は、作中で使われるありとあらゆる要素にたいしてリスペクトを欠いていて、その無礼さが作品の中心的テーマを祭り上げている。ナイーブな書かれかたに沿ってナイーブに読めば非常に心地よい。

 作品としてそういうありかたが良いかと言われれば、良くはないとは思うのだけど、それはそれとして、自分の立ち位置以外のすべてにたいしてリスペクトを欠いているような作品が世の中の様々な立ち位置のひとに同程度に享受されるのはとても必要なことだと思う。この本が世界の中で果たしている役割は、そういうことだと思う。