「良いニュースと悪いニュースがあるけど、どっちから聞きたい?」というのは英語圏のジョークなどでよく聞く表現である。たとえば、こういうふうに。
医者「良いニュースと悪いニュースがありますが、どちらからお聞きになりますか?」
患者「では、悪いニュースから」
医者「あなたは病気にかかっています」
患者「では、良いニュースというのは?」
医者「この病気にはあなたの名前が付けられることでしょう」
僕はこの表現を人生でいちどだけ、実際に使ったことがある。それは、僕が上京してきた年の3月のことだった。4月からはじまる新生活の準備のために、有楽町にあるホテルに宿泊しながら、新居となる大学寮に運びこむベッドや家電などの必需品を買いそろえていた。
そのころの僕は18歳ではじめて故郷を離れ、自分がなにも知らないということさえ知らず、自分が調子に乗っているということにも気づいていなかった。新生活の準備くらいひとりでできると思っていた。大人の交渉と取捨選択をしているつもりになりながら、家電量販店の店員さんのすすめるままに意味わからないほど強力なスペックのパソコンを購入し、プロバイダのひとにすすめられるままわけわからんオプションの大量についたネット回線を引き、家具屋さんのひとにすすめられるまま8万くらいする羽毛布団を買ったりしつつ、これからはじまる新生活に夢を膨らませていた。
家具屋さんでベッドを選び、購入と配送の手続きをしていたときに異変に気付いた。財布がないのである。
もーうとんでもないくらいショックだった。ずっと何十分もお相手をしてくれていた家具屋さんの販売員に頭を下げて店を出て、昼食をとったレストランに事情を話して探し回ってみたけれど見つからない。もし道に落としていたとすれば、戻ってくるはずなんかない。地元の沖縄ならともかく、東京は人でなしたちが住む大人の街なので、落としたものは絶対に戻ってこない*1しなんならスリとかもたくさんいるっておばあちゃんが言ってた。
財布がなかったら新生活どころか、ここから電車に乗ってホテルに帰ることもできない。キャッシュカードもなにもかも同時に失っており、東京に知り合いもいないのでもう本当にどうしようもないのである。こんなに物と人とチャンスのあふれている大都会にいてなにひとつ可能なことがない。
しかたなく親に連絡し、帰りの電車賃は交番で借りた。*2食事はホテルのご厚意で、後払いでレストランで食べさせてくれることになった。
数日後飛行機で助けに来た親に「ばか者」と言われながら新しい財布とキャッシュカード再発行までの生活費数万円をもらった。財布は長財布で、僕は個人的には折りたたみ財布のほうが好きだったのでそのことを言ったら、「立場をわきまえろ」と言われた。
それでなんとか、親に手伝ってもらいながらなんとか新生活スタートの買い物を終え、4月1日には無事に新居に入居することができた。そのまま1か月くらいふつうに過ごして、ある日なにげなく鞄の整理をしていた。鞄のふだんはまったく使わないポケットに見慣れたほうの財布が入っているのを見て、最初はなにが起こっているのかよくわからなかったのだけど、しだいに、財布を落としてなどはおらず、あのすべては僕のただの勘違いで、財布はただここにあるということにずっとまったく気づいていなかったということがしだいに飲み込めてきた。
電話をかけて、親が電話をとったので、言った。「良いニュースと悪いニュースがあるけど、どっちから聞きたい?」
このことはいまだに親戚中の笑いの種になっていて、僕が顔を見せるたびに掘り返される。親たち世代は一生、死ぬまでこの話で笑うのでしょう。それに値することはしてしまったので、これはもう甘んじて受け入れるしかない。