中洲のフィレンツェ

 

 「いや、これなんの話だよ」と言って目の前の男性は照れ笑いをしたけれど、僕はこれは重要な話だと感じていたのでその照れに上手に乗ることができなかった。

 

 「20代、30代のころなんてキャバクラしか行ってなかった。だから、いまどきの若い、どこのどいつかも分かんないような案内所の兄ちゃんなんかより、絶対俺のほうがキャバクラに詳しいよ」その話というのはそんなふうに始まった。男性はこれまで出会ったなかで一番素晴らしかったというキャストの名前と、自分がキャバクラ通いをやめることになった経緯を語った。

 

 はじめてキャバクラに連れて行ってもらったとき、女の子に接待されて、楽しくて。またつぎも楽しいはずって期待をしてもう一回お店に行く。これ以上の楽しさが、もっともっとあるだろうって期待をして、次々といろいろなお店に行っていろいろな女の子と会う。ギャンブルと一緒で、期待が続く限りやめられないし、登山と一緒で、どんどん上を上を目指してしまう。

 でも、ある時に気づくんだよね。いままでに経験したところに一番があって、それを越えるものに出会えることはこの先ないだろうって。俺にとってのそれは中洲にあるフィレンツェってお店にいたあきなちゃんだった。それに気づいてから、俺はキャバクラ通いをすっぱりやめた*1よ。

 というのが話のあらましであった。

 

 彼も話の終わりに自分でそう結論していたが、これはおそらくキャバクラに限った話ではない。もしなにかをするときに、上に進むことを目的にしていて、さらに上があるかもという期待だけが続けることの理由であるのならば、頂上を通り過ぎてしまったということに気づいたあとは、それを続ける熱意はなくなってしまう。

 

 一番素晴らしいものに、すでに出会ってしまった。ここはもう終わりで、またつぎの何かを探そう。

 

 エネルギッシュに、いろいろな分野に身を置いているように見えるけれど、実は自分の感性を使った焼き畑農業をしているだけ、というような人物には若干の心当たりがあり、その筆頭は僕自身である。これを持続可能にするための、なにか対策を打ったほうがいいような気がする。

 

 「自分の経験のなかに一番素晴らしいものが収まっている、なんて考えない程度には謙虚でいる」や「上ではなく裾野を、ほかにも様々なディテールに興味を向ける」というのがありうる解決策だと思うが、どちらも心掛けのレベルの策であり、最終的には倦怠感との一騎打ちになることが予想される。

 

 そして倦怠感というのは、そんなに強い相手ではないと思うけれど、しぶとさがあり、一度勝つだけではだめでなんどもなんども持続的に勝ち続けないといけない。あきらめて引退するまで続く防衛戦で、自分の熱意に、常にベルトを巻かせ続けなければならない。

*1:ちなみにいまの趣味は油絵らしい。