最後に将棋を指した日のお話

 

 自認している自分の特徴のうちのひとつに、対人の対戦ゲームが苦手というものがある。そもそもゲームそのものを避けがちということもあるが、なんであれ人と競争すること全般が好きではない。せっかく人と人がいっしょにいるんだから、競争するよりはなにかべつのことをしたほうがよいじゃないかと思う。

 

 競争のほうが好きでじゃれあいを好まない人も世の中には多い。もちろんそちらのスタンスも頭で理解はできるが、実感はできない。その溝をおおきく感じるのは、大乱闘スマッシュブラザーズを二種類の人間で集まってプレイするときである。競争を好む人間たちは、迷わずアイテムスイッチを切り、ステージを終点に固定する。ノイズや不確定要素をできるかぎり取り払い、純粋にどちらがうまいかを競うことに楽しみを見出しているのだ。

 

 僕が設定の主導権を与えられた場合は、おもむろにアイテムスイッチは全開、出現頻度も最高にして、さらにステージをランダムにする。それに加えて、個人的には使用キャラもランダムで通すことが多い。バトルというよりは、バトルの上で起きるハプニングやコミュニケーションを楽しみたいのである。

 

 しかし、そういったスタンスが固定化されるのもよくない、と個人的には思う。2種類の人間がいることがわかったら、もう片方であるということも経験してみたい。そんなことを考えていると、そういえば昔、将棋をよくやっていたことを思い出した。

 

 子供のころの僕は、ぱっと見で利発だとわかるような感じの子だったので、成人男性によく将棋を教えられたり、定石や手筋の本を買い与えられたりした。機会があるとまあそれなりに成長はするもので、小学校に上がるくらいのころには、基本的に同年代の子で僕に将棋で勝てる子はいなかった。

 

 小学校に通っていると、2回か3回くらい、将棋のブームが起きる*1。最初の将棋のブームのとき、学年で、僕のつぎに将棋の強い子がいて、その彼とよく昼休みに将棋をしていた。将棋をするとき以外はそこまで仲がいいわけではなかったが、でも将棋をしているときはよく話をした。将棋の話だったり、将棋じゃない話だったり。

 

 そのあと、将棋が廃れて疎遠になり、つぎの将棋のブームが来た。ひさしぶりに昼休みに将棋をした。彼は将棋が僕より好きで、おそらくは勝負そのものも僕より好きだった。彼は本当に強くなっていて、僕はぜんぜん勝てなくなっていた。ただ勝てないんじゃなくて、ほんとうにぼろ負けだった。

 

 ただ、僕はそのことをあまり重視しておらず、盤面の情勢がどんなに序盤からどんなにひどいことになっていても、関係なく彼とお話をしていた。勝てないとわかってからは指す手もあからさまに適当だった。最初のなんどかは彼も「お前ってこんなに弱かったっけ?」って笑ってたけれど、僕はそれに応じて適当な手を指した。どうせ負けるんだから、変な手を指したほうが面白いかなって思った。

 

 何度かやっているうちに彼は無口になっていって、最後の僕の最悪な手が引き金になって、盤面を投げ捨てた。「ふざけてるならもうお前とはやんないよ」と、けっこう強く言われた。僕はまだふざけたままだったので、彼は去って行って、言われた言葉はそのとおりになった。

 

 そのことの影響はけっこう長く、そのあと僕は自分でも将棋をしなくなった。このまえ、全然関係ない高校の友達がフェスの待ち時間に将棋盤を持ってきていたので、それで一回指したんだけど、それだけ。

 

 べつに将棋が極端に嫌いというわけでもないので、指せと言われれば指すと思うし、そのたびにその日が僕が最後に将棋を指した日として更新されていくだろうとは思うけど、それにたいした意味はない。

 

 ただ、あのとき、彼と全力で勝負をして、負けたときに悔しい気持ちを感じて、僕を追い抜いた彼をまた追い越したいと願っていたら、そのあとの人生はちょっと違ったものになったのかもしれない、……ということを将棋の話をするたびに思い出す。

*1:将棋盤はおもちゃカウントされたりされなかったりし、担任によっては教室への持ち込みを許可してくれるのがその理由ではないか。