Amethyst remembrance

 

 いちばん好きな詩人はだれか考えてみると、時によって変わるとしか言えないが、その時のうち多くを占めているのは間違いなくエミリー・ディキンソンだ。

 

I held a Jewel in my fingers —
And went to sleep —
The day was warm, and winds were prosy —
I said " 'Twill keep" —

 

宝石を握りしめて

眠りにつくところだった

太陽は暖かく、風は平坦だった

私は言った。「ずっと、このまま――」

 

I woke — and chid my honest fingers,
The Gem was gone —
And now, an Amethyst remembrance
Is all I own —

 

目が覚めて、――自分の正直な指を叱った

宝石はどこかへ行ってしまった

そして、いま、アメジストの記憶だけが

私の持っているすべて

 大学時代のある夜、友達の家で宅飲みして酔っぱらってエミリー・ディキンソンの話をしていた。僕は当時酔っぱらわないとなかなか自分の好きなものについての話をすることができなかった。ふたりでウィスキーをひと瓶開けて、翌朝は人生最大の二日酔いをして、昼ご飯を食べに行った近くの家系ラーメン屋で、634ラーメンという(忘れたけど多分)ウズラの卵6つ、チャーシュー3つ、のり4枚という大盤振る舞いラーメンを頼んで、気持ち悪すぎてウズラの卵を3つだけ食べてあとは残して帰ったのを覚えている。

 

 エミリー・ディキンソンは自分の詩にタイトルをつけていないので、詩を特定して呼ぶときには全集の通し番号か最初の一行をタイトル代わりにつかう。この詩の場合は「245」または「I held a Jewel in my fingers —」になるが、僕の個人的な記憶のなかではAmethyst remembrance(アメジストの思い出)の詩としてインデックスされている。

 

 4行×2連の短い詩だけど、かけがえのないものが詰まっている。なんとなく、イニシエーションの詩のように見える。これは普遍的な真実で、全員が経験する出来事について語っているように聞こえる。だれもがみな、成長していくなかである日、それまで大事に持っていた宝物、自分にとっての大事なものを、あるなんでもない日になくしてしまう。それは激しい出来事ではなく、戦いもない。ただ、気づいたら手のなかから消えている。

 

 悔しさと怒りがあって、外にその態度をぶつけてしまうけれど、今回のことに関係があるのは自分だけだと自分がいちばんわかっている。宝石は消えてしまい、かわりに、失くしてしまったものの思い出が自分が持っているすべてになってしまう。そのときから、人生の質が変わる。いま手元にあるリアルな物のほうが大事だった時代が終わり、記憶や欲望のような、イマジナリーなものが人生の中心になっていく。だれの人生にも、そういう変化の出来事がある。

 

 というようなエモめな読み方を個人的にはしているが、エミリー・ディキンソンのほかの難解な詩と同じく解釈は割れていて、少女趣味の可愛い詩だというひともいるし、内なる信仰心を象徴した詩だというひともいる。

 

 この詩を好きなひとはいっぱいいるみたいで、「闇の末裔」という漫画原作のアニメに、「Amethyst Remembrance ~紫水晶色の思い出」(歌:斉藤かおる)という劇中歌があり、その歌詞にこの詩が(すこし改変されて)丸ごと使われているらしい。Yahoo知恵袋にその歌詞(つまりほぼディキンソンのこの詩)の翻訳を教えてください!って質問しているファンらしきかたがいてなんか良かった。おそらく聞いた人も訳して答えた人もこの詩が英米文学でもオンリーワンの評価がされている作家の有名な一作だとは知らなかったんじゃないだろうか。こういう、すこし外れた方法でそれでも正典が読み継がれていくの本当に美しくて好きです。