「海」
少年が沖にむかって呼んだ
「おーい」
まわりの子どもたちも
つぎつぎに呼んだ
「おーい」「おーい」
そして
おとなも「おーい」と呼んだ
子どもたちは それだけで
とてもたのしそうだった
けれど おとなは
いつまでもじっと待っていた
海が
何かをこたえてくれるかのように
高田敏子さんの詩集『月曜日の詩集』を読んでいた。毎日新聞の家庭欄「週刊奥様メモ」に毎週月曜連載されていた詩をひとつの本にまとめた、という出自を持っている。
日常で出会うような出来事を、平易な言葉で……、というような文章を書きかけたのだけど、いったん消して、この本のあとがきで紹介されている、新聞社へ届いた読者からのファン・レターをそのまま引きうつしたほうがいちばん伝わるかなと思った。
私は、月曜日の「週刊奥様メモ」を何よりも楽しみに拝見しています。まっさきに、高田敏子さんの詩を読ませていただきますが、いつも心にあたたかくしみて、自分の思ったり感じたりしていることを、そのまま高田さんが美しい詩に表してくださるような気がいたします。また、メモのなかには、必ずといっていいように、私が明日しましょうと考えていることや、二、三日まえにすませたことなどがのせられています。そのたびに子どもたちに、ホラ、またお母さんと同じ考えが書いてあったわ、とか、ねえ、きのうおかあさんがしたことが出てるでしょう、などと話しかけずにはいられません。
詩のなかには、平易な言葉とモチーフだからこそ際立つような、現状肯定のやさしい力が満ちている。とても面白い詩集でした。
「山登り」
リュックを肩に
息子は山にでかけていった
ついこの間まで
私のまわりで
小さな足音をたてていたのに……
あの 大きな山グツで
どこの尾根をすぎているのだろう
息子はひたいの汗をふく
ポケットからひっぱりだした
真っ白いハンカチ
ふっとママの匂いがしたような
そんな思いもすぐに消えて
目の前にひろがる
山はだをみつめる
空間を隔てた母と子の、思いの呼応が素敵。子を思う母親の母性称揚、といった雰囲気で終わらせず、息子に見せ場を作る最後の展開もかっこいい。
「光る時間」
ある日 私は悲しかった
さびしかった
町に出て飾窓をのぞいて歩いた
心を満すものは何もなかった
公園のベンチに座った
何気なく子どもを見た
小さな子ども!
私にむかって駆けてくる
うれしそうに笑って近づいてくる
ママと間違えているのかしら?
私も笑って待った
それはほんのわずかな時間だった
けれど 美しく光る「時」だった
飾窓で見た宝石のどれよりも―
とつぜんちょっとエミリー・ディキンソン*1風な詩が出てきて面白かった。1連目は高田さんなんだけど、空行のあとは突然出て来る「時」*2とか、宝石というモチーフ選びとか、いいさしてダッシュで切る感じが非常にそれっぽい。