江戸東京博物館

 

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特別展「江戸のスポーツと東京オリンピック」 - 江戸東京博物館

 いよいよ来年に迫った2020年東京オリンピックパラリンピック。当館では、開幕の1年前の時期にあわせ、日本におけるスポーツとオリンピックの歴史をひもとく展覧会を開催いたします。

 江戸時代の蹴鞠けまり、相撲、打毬だきゅうなどの伝統的な競技に関する絵画や道具類から、近代オリンピックで活躍した日本人選手の競技用具やメダルなど、多彩な資料を展示。江戸時代に行われていた伝統的な「スポーツ」を概観し、明治以降の近代スポーツの受容と流行からオリンピックへの参加、そして1964年東京オリンピックへの大会招致と開催に至るまでの歴史を紹介します。

 

 という展示を見に、両国にある江戸東京博物館というところに行ってきた。不思議な名前の博物館で、本当は江戸博物館とかにしたかったんだけど東京って名前も入れといたほうが観光客へのアピールがいいかなって理由でこんな名前になったのかな?とか邪推していたけれど、調べてみたら文字通り、江戸と東京という、時間的に隣接したふたつの大都市の風物を所蔵する、というところをコンセプトにした博物館だった。

 

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 エントランスはこんな感じ。ホテルみたい。

 

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 展示の前半は、江戸時代の武道や馬術をスポーツという切り口から紹介してくれる。京都の三十三間堂で、24時間連続で矢を射続けて的中数を競う、通し矢「大矢数」という競技の説明には迫力があった。紀州藩の和佐範遠さんというひとによる13,053射8,133中というのが最高記録らしい。この記録を打ち立てた時点でまだ時間が8時間余っていたらしいが、こんなすごい記録が作られたら今後だれもこれを越えられず弓道は衰退してしまう、という理由で競技は打ち切られたらしい。

 

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 後半はオリンピック。東京オリンピックのポスターはめちゃめちゃかっこよかった。あと、道徳の授業で有名な「友情のメダル」*1の現物を見ることもできた。二つ並んだ状態で見れたのはちょっと良かった。

 

 あとはオリンピックにはなく、パラリンピックでのみ行われる唯一の競技、ボッチャが体験できるスペースがあった。カーリングとかペタンクとかとおなじようなゲーム性のある対戦型の競技で、実際ちょっと体験してみたかったけれど、ひとりだったのでできなかった。やっぱりお出かけはひとりでするよりふたり以上でしたほうがいいみたいだ。

 

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 そのあとは両国駅にあった「東京商店」という角打ちで日本酒を試飲しまくっていたので、最終的には「酷暑遊び」とおなじような状態になってしまった。

*1:1936年のベルリンオリンピック棒高跳びでデッドヒートの末お互い競技が続行できなくなった西田修平と大江季雄が、それぞれ獲得した銀メダルと銅メダルを二つに割って接合し、半分銀、半分銅の「友情のメダル」を分け合った。

スネオヘアー

 

 スネオヘアーの新譜、と言っても出ていたのはけっこう前なので僕にとっての新譜というほどの意味でしかないが、それをこのかたずっと聞いている。スネオヘアーは高校時代ずっと聞いていた、僕にとって大きな意味のあるミュージシャンだった。

 最近は必ずしもそのひとの最新の楽曲を追いかけつづけている、というわけでもなかったのだけど、しかしそういうポジションにある音楽をある日ふと立ち止まって聞き返してみることにはそれはそれで独特の良さがある。

 

 みなさんはスネオヘアーのことを知っていますか? 渡辺健二という、もうまあまあいい年になる男性のソロプロジェクトで、これまでに9枚のアルバムをリリースしている。アニメタイアップ曲がけっこうあって、こちらは荒川アンダーザブリッジのテーマ曲だったらしい。

 

 ぱっとみの雰囲気からするとちょっと意外にも映るポップソングが特徴のミュージシャンで、並外れて美しいメロディを持つ名曲を、安定したクオリティで何曲も何曲も出し続けている。なぜ国民的なミュージシャンになっていないのか不思議なくらいだ。今回ひさびさに聞き続けている、「kiss me quickly」という曲もとてもいい曲で、毎回毎回すごいなあ~と思った。

 

 こちらの曲のMVでは、スネオヘアー(本名:渡辺健二)が「彼女を失ったことに耐えられず、その心の傷を自分を介護してくれているロボットで埋める悲しい中年男性」の役を好演している。芸人のゆうたろうと仲が良いらしく、いろいろなMVでゆうたろうが友情出演している。うねるような感じが印象的なリフから始まる楽曲も非常に素晴らしい。

 

 80年代っぽいテイストを取り入れたこちらの曲は、ほかの曲に比べてフックはそこまで強くないんだけど、こういうフックをそこまで効かせていない曲でこそメロディーメーカーの本領が発揮される感がありますね。

 

 Youtubeでの公式動画はあまりないが、ストリーミングサービスでは普通に聞くことができる。「ストライク」「フォーク」「スカート」「訳も知らないで」「ピント」「スピード」「共犯者」「ワルツ」「ターミナル」「フューチャー」「スプリット」「セイコウトウテイ」「ウグイス」「ヒコウ」「悲しみロックフェスティバル」……、いまでもメロディーを口ずさむことのできる曲がたくさんある。とくに「悲しみロックフェスティバル」は大好きで、昔々、曲をモチーフにしたショートストーリーまで書いたんだった。

 

 北乃きいに提供した曲もあった。けどこれはべつに聞かなくてもいいと思う。その代わりに提供つながりで、YUKIが歌っている「コミュニケーション」を聞きましょうね。作曲はスネオヘアーです。

Apple Music Challenge(3か月で10000曲聞いたときの話) 1

 

 

 Apple Music。加入した最初の3か月間は無料という制度があり、その制度を最大限生かしたかった僕はこのようなことを考えた。

 

 いま思うと、ちょうどその当時加入していた教育イベント企画系のサークルで、それなりに大きな案件の統括を務めていて、頭がくるっていた可能性がある。

 

 でもなぜかその時の僕はかなり前向きで、すぐにツイッターで進行状況を実況しながら曲を聴き始めていた。かなりの頻度でツイートしていたので、このタイミングで友人の多くが僕をミュートしたことだろう。序盤はそれまで知っていたバンドの曲を聴いていたが、それもすぐに尽きる。

 

 241曲を終えた時点ですでに健康被害を訴えている。当時寮に住んでいたので、スピーカーで音楽をかけるわけにもいかず、ずっと側頭部が押さえつけられていて頭が本当に痛かったんですよね。あの時の痛みは今も思い出せる。

 

 なにを聞けばいいのかもいまいちわからなかったため(そもそも聞きたい音楽なんて10000曲もない)、とりあえずロックの歴史的名盤と呼ばれるアルバムを一通り聞いていった。もし今僕が音楽について一般的な日本人よりも多少詳しいのだとしたら、それはこのときの10000曲ブートキャンプの影響が大きいと思われる。

 

 アルバムを聞いたらとりあえず音楽についてわからないなりに頑張ってコメントをする、という縛りを設けていたが、1400曲ごろの時点になると守れなくなっている。

 

 嫌ならやめればいいのに……。

大きかったART FACTORY 城南島

 

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 これが城南島だ。埋め立てでできた人工島だが、ぱっと見ではどこからどこまでが島なのかよくわからないくらいはっきりと開発が進んでいる。最寄り駅は文学フリマなどでおなじみの流通センター駅だが、気合が入っていないと歩ける距離ではない。僕は気合が入っていたが、普通に行くときには大森駅からのバスを使うことになると思われる。

 

 地図になにやら意味深な水色のピンが刺さっていることにお気づきだろうか?

 

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 それがこちら、ART FACTORY城南島という施設である。そもそもこの城南島というのは(このあたりの人工島は大体そうで、城南島に限った話ではないが)基本的には流通と工業の地である。おそらくこの建物ももともとはおそらく東横インが持っていた工場であり、それが生まれ変わって文化振興施設になった。

 こういう、大企業が持っているアート施設というのは都内にけっこうある。大企業マネーのおかげで無料で入ることができる場合が多い。こちらも入場無料だった。

 

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 素晴らしかったのは、展示室の広さ。この日は三島喜美代という現代彫刻家の企画展をやっていて、とにかく空間をたっぷり使ったバカでかいアートを楽しむことができた。「打ち捨てられて読めない新聞などの文字」というところにオブセッションがある作家らしく、火山灰に廃新聞を押し固めたブロック状のモニュメントだったり、レンガに新聞の文字をプリントして敷き詰めたモニュメントだったりがあった。

 写真の奥にあるのは新聞の束を使って作った立体迷路で、中に入ることができた。高校のとき文化祭で教室いっぱいに段ボールでつくったお化け屋敷のことを思い出した。

 

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 それだけではなく、ほかにもいろいろな部屋があり、四階ではアートガイア展というのが開催されていた。若手の作家の家に眠っている大型の卒業制作作品をまとめて展示し、国内外のコレクターに向けて発信していこうという志の高い企画だった。こういう場所でもないと、大きい絵は展示するのも売るのも大変らしい。

 四階にはその大きな絵を搬入するための大きなクレーンがあった。

 

 ほかにも、一部のスペースはアトリエになっていて、アーティストが製作をしている現場を見学できるようになっていた。が、ちょっと気が引けてなかなか覗けなかった。もしほかにお客さんがいたらちょっとは覗いたかもしれないけれど、この日は本当に館内にお客は僕一人しかいなかった。

 

 行くのが難しい場所にあるという難点はあるが、おかげでゆっくりできる、大きい文化施設、それがART FACTORY城南島でした。

 

 

 

 

東京都を一周する全長270kmの遊歩道、武蔵野の路

 

 というものが僕の住んでいる東京にはあるらしい。「ささやかな散策を」のときに石神井川の遊歩道に行き当たったのだけど、そのときに「武蔵野の路」案内板を見つけて、それでその存在を初めて知った。

 

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 せっかく路がある。ならば歩いてみましょう。ということでとりあえず、「大井・羽田コース」と名づけられているルートの出発地点に来てみた。最寄り駅は京急線天空橋駅であるが出発地点は天空橋の隣にある弁天橋というところだとされている。近くには開発の中にぽつんと残った鳥居があった。

 事前のインターネット・リサーチによると、武蔵野の路というのはかなり未整備で、今後も整備される予定もない、いわば忘れられようとしている路らしい。この出発地点にも、ここが武蔵野の路のターミナル・ポイントであるということを示す標識などはなかった。

 

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 20分ほど歩いたところでなんとか案内板を見つけ、ここでやっと自分が武蔵野の路を歩いているということを確認できた。

 

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 道はこんな感じ、可とも不可とも言い難い微妙な遊歩道が続く。歩きながら、せっかく270kmを歩くのだから、「そのルートに沿った店で買ったものしか食べたり飲んだりできない」くらいの縛りはあっていいのではないか、という気持ちになってきた。

 

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 不安を抱えつつ、とりあえず進むことにする。スタート地点から呑川を越えるあたりまでは、古びた町工場が象徴的な、大田区の質朴な路地を進むことになる。右手には羽田空港が見え、ときおり、低い空を飛行機が横切る。そのあとは海沿いの遊歩道を歩く。左手に森ケ崎公園というかなりよさげな公園があったが、武蔵野の路の側からはフェンスで完全に隔離されていて入ることができなかった。公園の中の自販機で、ジュースくらい買えればいいなと思ったんだけど。

 

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 昭和島から先は完全な実務地区で、はたらくくるまが大量のコンテナを運んでいた。はたらいていないにんげんである僕はかなり肩身が狭かった。

 

 この辺まで来るととてもおなかがすいていたが、もちろん飲食店どころか、コンビニや自販機すらなかった。次の島にはきっとお店があるはず、と思って京浜島にわたり、城南島に渡った。

 

 すると行く手にあったのは中央卸売市場大田市場。

 

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 調べてみると市場には一般の人でも立ち入りはできるらしく、場内には場内で取引される食材をふんだんに使ったおいしい飲食店がいくつかあるらしい。大田市場なんて二度とこないだろうからレアリティも高い。やったぜ! と思いながら大田市場に向かおうとして、一応、手前にあった武蔵野の路の案内板を確認してみたら、武蔵野の路は大田市場を大きく迂回していた。ひどい路だ。

 

 空腹と渇き、そして武蔵野の路の理不尽への怒りに苦しみながら歩いて、やっと最初のお店を見つけることができた。とりあえずお水を買って、ひと息に飲み干したあと、おにぎりとファミチキを買ったが神の食べ物のようにおいしかった。ありがとう、PORT STORE。

 PORT STOREとは何なのか、調べてみたらちゃんとした理由があって面白かったので暇なひとは調べてみたり、調べずに推理してみるとよいと思います。

 

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 ちなみにPORT STOREの店頭にはこんな張り紙があって、自分のことを言っているのか?と思った。

自分の大喜利に点数をつける 4

 

 これは良いところと悪いところのコントラストがしっかりしていて、しかもありがちなミスを犯しているという点で非常に点数のつけがいがある回答だといえる。こういう回答に出会えたときには、やはり、自分の大喜利に点数をつけてきてよかったなあと思う。

 コンセプト自体は単純だが、しっかり「くすっ」とできる面白さのツボは抑えている。しかし、パンチ力は明らかに不足しており、情報の多いお題のポテンシャルを引き出しているとは言えないだろう。

 さらにまずいのは「ここに置いてた」の部分で、これは余分、なくても伝わると思う。ここまで説明したくなる回答者心理、「俺のおもちゃ知らない」を書いてふと、これで伝わるのか?と自問してしまうその心はとてもわかるが、大喜利においては説明のし過ぎは明確な減笑ポイントになる。むしろちょっとわかりにくくて、タイムラグがあって状況がわかるほうが面白さが増したりするのである。

 すべてを考慮に入れて、45点くらいか。

 

 あれ? 面白いと思うんですけどいまいちいいねがすくない……。画像当てはめ大喜利の重要な要素である「言っている」感がちゃんとあるし、元ネタ同士の組み合わせもよいマリアージュになっていると思う。

 お題で「おし」と与えられたひらがなを、回答では「オシ」とカタカナに読み替えていて、それがすこし足を引っ張ったのかもしれない。しかし、回文で濁点と半濁点のつけ外しが習慣上許容されるように、大喜利でもこれくらいの操作は許されてもいいと思う。80点くらいはあげたいけど、やはり客観的評価(いいねの数)にも配慮して70点としておこう。

 

 これも面白い。いまだに自分で見て笑ってしまう。個人的にはもう100点でいいような気がする。

 この回答は面白さはわかるんだけど、なにが面白いのかはさっぱりわからない。「かっぷる不成立」という回答が与えられた段階でも、それが絵のどういう解釈なのかまったくわからない。しかし、カップルという親密な関係性と、切腹-介錯という死を前にした関係性が、正反対ではないんだけど、なぜだか反対のような印象を与えて、そのずれが面白さを生んでいるのかもしれない。どちらにせよ、100%分析できるような面白さというのはやっぱりどこかつまらない感じを受けるもので、本当に、真に面白い大喜利というのはどこか常識的な解釈を拒むようなものである。それを考えてもこれはやっぱり100点なのではないか。

 先の評価で述べた「ひらがなとカタカナ読み替え問題」がここでも発生しているように思えるが、こちらは「かっぷる」と本来カタカナで回答すべき言葉をひらがなに合わせていることで、思いもよらない侍感が出ていてこれも面白い。間違いなく100点だ。

製氷皿の上の男


 「氷って切らしてないよね?」11時すぎに電話がかかってきた。わざわざ固定のほうの電話に。赤崎の部屋にはなぜかいまどき固定の電話があった。ほとんど使われないこの機械が使われた理由は、朝の8時から始まって、40分から一時間くらいの間隔をあけて何度かかかってきている電話を、長野伽奈がずっと無視しつづけていたからだ。「ちゃんと言われたとおりにしているよ」声から呆れや苛立ちがにじまないようにして、そう心がけていれば声のニュアンスとなって、電話の向こうにも伝わるはずの笑顔を作って長野は答えた。コールセンターで働いていたころに教え込まれた技術は、まだ有効なはずだった。


 赤崎諒野は安心したような溜息を吐いて、電話を切った。要件はそれだけだった。受話器を置いて、もうすこし眠るか、それとも活動を始めるか長野は迷った。昨夜の深酒が全身に残っていた。二日酔いというより、まだ酔っぱらっていた。仕事はお盆で休みだったけど、いくつかやらないといけないことがあった。実家の母親に今年は帰らないって連絡を、これは大至急にしないといけなかった。それから、「ううん! 大丈夫。せっかくりょうやの部屋いるんだからさ、片付けたり、常備菜を作ったりとか、なんか、できることはしておくよ。だってりょうやいま忙しいんでしょ?」って、気持ちが口を追い越して勝手にしてしまった約束を果たさないといけないと思った。そんな義理は本当はないって頭ではわかっているけれど、それでも帰って来たときに赤崎にがっかりした顔をされるのは嫌だったし、そうならないくらいには頑張れると思っていた。それに、昨日使ってしまった氷を作り足さないといけない。


 しばらくベッドに座って、これからしないといけないことのリストや優先順位について、頭の中でずっと考えていた。ときどき、いまは離れたところにいる赤崎諒野という名前の恋人のことを考えた。お風呂の終わりに体を冷やしてくるのが好きで、その冷たさで長野を包んで驚かせるのが好きな男。考えは定まらず、優先順位は揺れ動いた。順番が決まらなければ、動き出したって意味がない。長野の頭は便利な言い訳を見つけ、体を座っていたベッドの上へ倒させた。


 とりあえず、アルコールから回復しないといけない。地元への連絡はそのあとでいい。まだ、適切で、理解してもらえて、罪悪感を感じずにいえる言い訳を思いついてない。冷蔵庫に入っているペットボトルは空だった。グラスに流水を注いで、そのあと冷凍庫から氷を取り出して入れた。最後に一つだけ、かけらのような氷が残っていた。昨日は氷を使いすぎた。氷は全部、アルコールの溶解熱の中に溶けていった。赤崎がいない間、赤崎の部屋に泊まっててもいいという約束だった。恋人のいない恋人の部屋に泊まることは、長野にとっては、恋人のいる恋人の部屋に泊まるのと同じくらい心の踊ることだった。その別れ際に赤崎が、情けなく、真剣な声で言ったのを思い出した。「部屋にいる間、氷を、切らさないようにしていてほしいんだけど」


 製氷皿をひねって氷をスペースに落とそうとした。氷は固く皿の上にへばりついていた。南極のようにずっと凍っていたんじゃないか、と思えるくらい固かった。やっと二つか三つを、製氷皿の小さな個室からひねり出すことができて、一つだけを冷蔵庫に残して、残りをグラスに入れた。揺らしてかき混ぜるうちに手が冷えてきた。もう一度、赤崎の体温を思い出した。そのときまた固定電話が鳴った。「本当に、お願いなんだけど。氷はちゃんとしてる? 絶対に、絶対に使ったらすぐ補充してほしいんだけど」


 赤崎と長野はふたりとも自分の人生が最低の時期にあると感じているときに出会った。第一印象ではお互いを軽蔑したが、そのあとはお互いのことを、あるとつい何度も覗いてしまう鏡のように思うようになった。初めのころ、赤崎の服装や表情、喋りやしぐさは、改善すべき点がほったらかしにされているような覇気のない感じがしたが、それは長野のほうもまったく同じだと自分で分かっていた。しだいに、表面に現れている以上の奥のものがわかるようになってきて、それは赤崎の惨状に、必ずしも似合っているものじゃないように思えてきた。もっと多くのものがこの恋人には期待できると確信するようになった。自分だって同じだと思った。長野は仕事を変え、赤崎も仕事を変えた。長野は部屋を変えなかったが、赤崎は変えた。それからは、半年ごとに一つか二つ、月額で料金を支払うサービスの契約を増やしてきた。そのたびに長野は自分の人生が正しい方向に向かっていると信じることができた。


 作ろうと思っていた常備菜を作るのには不足しているものがあったので、スーパーに行った。外を歩いていると体調がとてもよくなってきたような気がした。すこし前向きな気分で買い物を済ませることはできたけど、その途中の早い段階で、家で氷を作るのを忘れてきたことにも気づいていた。家に帰りつくとまた電話が鳴った。「氷、ちゃんと作っておいてね」今度はお願いするような声だった。対等な大人ではなく、子供に言い聞かせるような声。電話を切って私は、どうして赤崎のこんなおかしな妄念に付き合わなきゃいけないのかと思った。「氷が、冷凍庫の製氷皿に、一杯になっていないと、おかしくなっちゃうんだよ俺は」そんなことをしなくても大丈夫だって、私の直接の行動で示してあげたほうが赤崎のためになるんじゃないかと思った。赤崎も長野もこれまでずっとよく頑張ってきたけれど、もともとが育ちのいい品種じゃない。傷があちこちにある。完璧の一流品にはなれないとしても、傷をふさいだり、見えないようにしたりする努力は一生続けていきたいと思っていた。私はいくつかの常備菜を作り、その過程で氷を使った。埋まっている製氷皿の個室は、いまは半分くらいになっていた。


 「お願い。かな。……氷を」つぎの電話は同情を誘うような声だった。「俺には氷が必要なんだよ。……この仕事にも。……ごめん、行かなきゃ。また、連絡する。でもね、俺にはわかってるんだよ。かなのことはぜんぶ。だって、氷が」弱弱しい声を聴いても、苛立ちしかわいてこない自分が悲しかった。


 どうしてそんなに氷が重要なのか、赤崎は長野にちゃんと説明できなかった。次の電話に出ると、赤崎の息はかすれていた。なにかがあったようだけど、声はつぶれていて聞こえなかった。「氷」。そのとき氷は、長野の手元のロックグラスの中でひしめき合って揺れていた。昨日買ったウィスキーのボトルは空いていて、今日スーパーで買い足した二本目がテーブルの上に直立していた。傷をふさいだり、見えないようにしたりする努力は一生続けていくべきだと思っていた。それなのに、どうしてか失敗してしまうことが多かった。


 最後の電話が鳴ったとき、時間は夜の八時で、二人はお互い、空間の中を永遠といえるほど遠くに離れていた。赤崎は電話で、氷のことを長野に告げた。長野は酔っぱらっていて、赤崎は死の際にあった。これを使ったらもう氷はなくなってしまうということを知っていながら、これまであった出来事を、自分が傷ついたことをすべて忘れてしまおうとして、長野は新しい一杯を作った。それで、冷凍庫の中の氷は、ひとつもなくなった。