ミゲル・シフーコ『イルストラード』

 

 さあ、これからが人生の本番だ――僕がまさにそのように思い始めた頃。グレイプスとグランマは僕たち六人のこどもをすべて目の前に座らせ、真剣な口ぶりでこう言う。「さあ、そろそろ」とグレイプスは言うのだ、「みんなでフィリピンに戻るぞ」。

 

イルストラード - 白水社

 フィリピンを代表する作家ともされるが、一方で、国を捨ててアメリカで暮らしている頭でっかちのインテリにフィリピンのなにを書ける?と批判されてもいるサルバドール・クリスピン。そんな大作家と個人的に関係のあった文学青年が作家の不審死と消えた原稿の謎に突き当たり、作家の伝記を書きながら、自分の実らずに終わった恋を思い出しながら、彼自身の故郷でもあるフィリピンに帰省する。そこでは動乱や自然災害に巻き込まれ、最後にはひとつの選択を迫られる…。というようなお話。

 ブッキッシュなタイプのポストモダンのスタイルを大々的に採用しており、作品は上記の筋以外に大量の、架空の作家の架空の小説のシーンの引用、架空(たぶん)のフィリピンジョーク、ネット上での無責任なユーザーの書き込み、彼の執筆している伝記の一節、なぜか主人公の青年の行動を客観視した視点から描かれている謎の文章、などなどが断片的につなぎ合わされている。

 

 自分のルーツやこの社会の成り立ちなどの大きな物語と、自分の恋や文学的感性、文学的野望、世界についての文学的思索を、二つのかけ離れたものを恣意的につなぐことができる「(ポストモダンな)物語」の力を使ってつなぎ合わせる。個人的には、もうこういうのは20代前半までに読んでひととおり感動し終わりました、という感じだったので、いま持っている感受性ではあんまり高い評価はできないのですが、でもこういう作家って初期の作品はこんな感じだろう*1…、というのはちょっとある。

 逆にこの作品でダサいことはいい意味で全部やり切っている*2気がします。実際に複数のテクストをまとめつつそれぞれうまい魅力をもたせて楽しませるといった小説の基礎的な力はとても感じる。エイジングが足りないだけなのである。翻訳があるのはこれだけのようですが、次回作以降はまた別の良いものになっているのではないでしょうか。

 

「もうすぐ行くから」とタガログ語で僕は叫ぶ。あたりの全てが、神々しいばかりの青に浸される。

 

*1:リチャード・パワーズだって『舞踏会へ向かう三人の農夫』はこんな感じじゃなかったでしたっけ。あれは僕は20歳前後に読んだのでもちろん感動しましたが…。

*2:チェーホフの銃」とかエミリー・ディキンソンの「死」の詩の引用など、俺も作品を作るときは絶対やりて~と思ったことが非常にあることだったので共感性羞恥があった。