文学好きになったきっかけ、1冊目、2冊目、3冊目

 

 最近は文春オンラインとか東洋経済オンラインとかの記事を読むほうが好きになったのであまり読んでいないのだけど、自分のいちばん好きなこと、と言われて自分のなかで真っ先に思い浮かぶのは「文学作品を読む」ことだと思う。

 

 もともと本を読むのは物心ついたころからずっと好きなんだけど、明確に「これからは文学を読んでいくか!」というふうな心持ちになったとき、というのが僕の人生にはあって、17歳になる年の6月ごろである。

 

 中間テストで修めた学年1位の成績へのご褒美としてもらった1万円をポケットに収め、沖縄都市モノレールに乗って県で一番大きな書店に向かった日のことをよく覚えている。

 好きだった作家のミステリー小説を6~7冊買い、残りの予算で何かしらの「文学」を買おうと思い、売り場をさまよった。そのときに買ったのが、武者小路実篤の『友情・愛と死』、サマセット・モームの『月と六ペンス』、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だった。

 

 ……まあ、「文学」とそうでないものの境目はとても形式的なものなので、べつにそれを1冊目、と呼ぶ良い理由はない。けれど、いったん無邪気に考えるのであれば、僕が1冊目に読んだ「文学作品」は武者小路実篤さんという人が書いた『友情・愛と死』という本でした。

 

 文学初挑戦というのは、挫折しないかどうか、どうしても面白さを感じられずに自分のセンスのなさに絶望するのではないか、などとかなり不安だったが、初手『友情・愛と死』というのは、その意味ではけっこう良かったのかもしれない。

 中に入っている、「友情」というお話も、「愛と死」というお話も、だいぶ素朴な、シンプルな作品で、文学的な深みはともかく、ストーリー自体は読んでいてすんなりと受け止められるようなものである。しかも、僕はこの話の大まかな筋を事前にインターネットで知っていたしね。

 

 意外と挫折はしなかったな。それに面白かったような気もする。でも読んでいて楽しかったか、また読みたいかと言われると、……? くらいの気持ちで初戦を終え、2度目の相手に選んだのはサマセット・モームさんの『月と六ペンス』だった。

 

 『月と六ペンス』は、芸術と人生の相克というようなけっこう典型的に「文学的」な話題を扱う本で、また自分のこれまでの人生では経験してこなかったような場所や時間や出来事がどんどん出てくる。自分と共有している部分がすくなければすくないほど、本を読むというのは大変な作業になるが、……当時の僕は粘り強く、そしてその作業のなかにそれなりに面白さを見出して読んでいたように思う。

 

 それで、意外と文学、こわくないかも……? でも、友達になれるかというと……? というような気分になった。そのあとに出会ったのが、3冊目である『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だった。

 

 この『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』が、本当にもう面白くてしかたがなかった。「計算士」の主人公が暗号を操る姿は(なにがなんなのかはわからないが)とてもわくわくしたし、壁のなかの街の図書館で働きながら不思議な隣人たちと交流する話は、そのなかに住みたいくらい居心地が良かった。最初のエレベーターに乗るところから引き込まれるし、存在しない固有名詞が出てくるたびに、物語ってこんなにないこといっぱい言っていいんだ、と思って新鮮だった。

 もっと何冊も文学を読みたいと思った。

 

 それからは、最近はあまり読んでいないけど胸を張って好きだと言える程度には文学作品をコンスタントに読んできている。

 つぎはジョン・アーヴィングの『サイダーハウス・ルール』かチママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』、あるいはエルフリーデ・イェリネクの『ピアニスト』を読みたいですね。