美の特権はすばらしいものである。美は美を認めないものにさえも働きかけるのだ。
古い東郷青児訳の角川文庫版を読みました。ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』。
こんな愛情は、まだ愛情について考えてみたこともない子供にとって、ただ途方にくれるよりほかしかたのないものであった。それは救いようのない、漠然とした、けれども激しい不幸であり、性も目的もない清浄な欲望であった。
小説のはじまりに置かれる舞台設定の説明がかなり読みづらいのだけど、そこを乗り切ればいきなりすごい。ポールという病弱な少年が登場し、悪いやつだけど美しくて大人たちからの心証もいいダルジェロというべつの少年へ向ける強い矢印が語られる。
そのあとダルジェロは、おくれてのこのことやってきた病弱なポールに雪玉をぶつける。ポールは衝撃で血を吐いて倒れる。そのポールの心配をするのがジェラールというもう一人の少年である。
こいつは空想にふけっているのだろうか?
ジェラールはポールの熱い手を握ったまま、あおむけになったその頭をじっと見つめながら心の中でつぶやいた。
どうやらジェラールはポールへただならない感情を抱いているらしい。これまでのところを図にするとこうなる。
たった10ページでこれである。俺はpixivを読んでいるのか?
この話はこれから、この愛憎のテンションを保ったまま登場人物を加えたり減らしながら、クライマックスへと進んでいく。本当に緩急というものがないので、ページ数はすくないのだけど意外に読みにくい。読書感想文の課題本には選ばないほうがいいかもしれません。
決してまとまっているわけではなく、完成度が高いわけでもない。『恐るべき子供たち』をとくべつな作品にしているのは、基本的には詩人であるジャン・コクトーの文章なのだと思う。彼は詩を書いていて、物語だったり、登場人物だったり、人々の結びつきだったりのどうでもいいものは、この作品のなかでは彼の詩の輝きのためにささげられている。
ポールよりも二つほど年上であるためのある大人びた線が見え、そしてそれはただ姉としての素描であることを止めて、弟の顔をもう少し柔らかくしたものになりながら、その混乱のまま「美」に向かって急いでいた。
個人的に一番読んでいて「やべ~」ってなってそのまま本を置いて「ちょっといったん走ってこよう」となったところがこちら。上述のジェラール(ポール姉弟と面識がある)の立場からポールの姉を描写する文章なのですが、なんじゃこれは。「混乱のまま『美』に向かって急ぐ」!?
非常に名の知れた作品で、短いし入手性も高い、文学的な予備知識もそこまで必要のない、……わりには文を読む快楽を濃密に味わえる、コスパの高いおすすめの一冊です。