小説家の友人と通話をしたのだが、そのとき、「文体、とくに人称について悩んでいる」という話になった。
日本語で一人称で物語を書くときは、「僕」とか「私」とか「おれ」とかを使わないといけないのだが、どうしてもその選択によって、その人がどういうセルフイメージを持った人物なのかについての情報を読者に与えてしまう、自分のことを「僕」と言いそうな人なのか、「私」と言いそうな人なのか、読む人がイメージを持ってしまう、ということが邪魔に感じる。
かといって三人称を選択すると、それはそれで個人的にしっくりこない。
というのがだいたいその話の内容だったと思う。
僕自身もフィクションの文章を書くことはあるのだが*1、その際はほぼ100%一人称を選択している。これには理由があって、文体の癖、……というよりは自分の物の見方とか頭の働き方全般にわたる癖だと思うのですが、なにかを記述するときに存在をベースにするのではなく、認識をベースにしている、というのがそのおおもとだと思っている。
なので、文章を書こうと思うときに自然と、「何かがあります」という形式の文章ではなく、「ある人が、なにかをこのようにとらえています」という形式の文章が自然に出力されるのである。事実が主なのではなく、現れが主になるのです。スムーズに書くと一人称の文章になり、一方三人称視点で書くときはけっこう頭と時間を使わないとうまくいかない。
という経験が背景にあり、人称選択の問題については「ただ小手先の書きかたの問題ではなく、自分の主観に根付いている習慣の問題であるため簡単に選択できるものではない。自分がしっくりくるほうでやるのがいいのでは」という暫定的結論に自分のなかでは至っている。*2
それに加えて思うのが、人称って読んでいるときは意識しなくないですか? ということ。
たしかに、文体に特徴のある作家とかなら僕でもわかる。また、文体に興味をもって小説を読んでいる人ならとても意識することなのかもしれない。ただ、個人的には、好きな、印象に残っている作品をなんとなく頭に思い浮かべて、「一人称で書かれているでしょうか? 三人称で書かれているでしょうか?」クイズをしたとしても、分からないのである。
これはちょっと気になるので、小説をよく読む人やたまに読む人に聞いてみたい。自分が好きな小説が一人称で書かれていたか、三人称で書かれていたか、おぼえているものなのですか? そしてそれはどれくらいの自信度でそう答えられるのでしょうか?(コメントとかエアリプとかお手紙とかで教えてくれれば)
https://odaibako.net/u/kageboushi99m2
(お題箱もおいておきます)