死んだ人は正しく葬ってあげないと幽霊になって出てくるんだよ


 父さんが死んだあと、7日後に葬儀団の最初のひとりがやってきた。ずいぶん遅いなとぼくは思った。「ずいぶん遅いな」とぼくの手を繋いでいる弟が言った。葬儀団の最初のひとりが、ぼくの表情を見るなり用意していたみたいに言った。「国境を越える手続きに時間がかかりまして……」

 「でも、もうすぐですよ」その言葉どおり、それからは葬儀団がひとりまたひとりとやってきた。ぼくは彼らをひとりひとり客間に案内し、大きな薬缶に準備しておいた菊芧茶を注いでもてなした。葬儀団のやってくるペースは上がり、ぼくと弟は玄関と居間を目のまわる忙しさで往復した。

「分担しよう」
「ウン」
「ぼくがお茶を出すから、玄関からの案内を頼むよ」
「ウン」

 弟は玄関に向かって数歩だけ歩いていくのだけど、そのあとはまたぼくのもとに戻ってきて固く手をつなぐ。ひとりでなにかを任せるには弟は幼すぎるのだ。結局、玄関先にたくさんの葬儀団を待たせることになってしまった。すべてをお家に迎え入れるころには、午前4時を回っていた。手際が悪くてごめんなさいとぼくは思った。「手際が悪くてごめんなさい」とぼくの手を繋いでいる弟が言った。葬儀団の最後のひとりが、すこし笑ってこう言った。「気にしないで。国境でもこんなものでしたから」そう言って、しゃがんでぼくの頭を撫でた。

 居間は葬儀団でいっぱいになった。ぼくはその隅っこで、弟と一緒に彼らの準備が整うのを待っていた。すごく眠かったけれど、葬儀はまだ始まってもいなかった。

「死んだ人は正しく葬ってあげないと幽霊になって出てくるんだよ」
「ウン」
「だから、ぼくらも正しく頑張らないとな」
「ウウン」

 

 朝日が昇るころ、すべての準備が整ったようで、葬儀団のひとりが全員に向かって訓示を話した。長いお話のあと、彼はぼくらのほうを向いた。「死んだ人は正しく葬ってあげないと幽霊になって出てくるんだよ」そう言って、しゃがんでぼくの頭を撫でた。

 ぼくはうなずいた。「葬儀がうまくいくかどうかは、君にもかかっているんだ」

 ぼくはうなずいた。「たのんだよ。一緒に頑張ろうね」

 ぼくはうなずいた。

 深刻な音を立てて葬儀のはじまりを告げる鐘が鳴った。葬儀団は時間をかけて父をその死の場所から取り出し、布や箱や膜で何重にもくるんだ。ぼくはそれを見ていただけだった。ぼくの出番はもうすこし後だった。

 正午を過ぎるころ、ぼくらと葬儀団と何重にもくるまれた父は玄関を出発した。まずは山を越えた。それから湿地を泥につかりながらどこまでも歩いた。ぼくはしっかりと手を握っていたので弟ははぐれなかった。弟は見たことのない遠い外の世界の明るさに目をつぶっていた。近くにいた葬儀団のひとりが話しかけてきた。「私たちはプロの中のプロなんだ。これまで一度も幽霊を出したことはないよ」ぼくはうなずいた。

 「それはどうかな」と目をふさいだままの弟が言った。それはどうかな、とぼくも思った。幽霊が出たとしても、誰もがそれに気づけるわけではないのだ。

 

 滝のそばの集積所でぼくらは父を燃やした。父は燃えた。あとは幽霊の可能性があるものをこの世から振り払うだけだった。「ここから先は君ひとりだよ」葬儀団のひとりが言った。

 「大丈夫だよね。きっと仕事を成し遂げてくれるね?」葬儀団のひとりが言った。「君はもう大人だからな。ひとりでもやり遂げられるさ」葬儀団のひとりが言った。「何をすべきで、何をすべきでないか、はっきりわかっているだろう?」葬儀団のひとりが念を押して言った。「正しく葬儀を終わらせることをここにいる全員が望んでいるんだよ」葬儀団のひとりがさらに念を押していった。ぼくは頷いた。

 葬儀団はひとり残らずいなくなった。

 

 ぼくは滝つぼに足を踏み入れた。急激に水は深くなり、腰を濡らすまでになった。しかしそのあとは平坦だった。

 手をつなぐ弟は胸のあたりまで水に沈んでいて、呼吸が苦しそうだった。

「大丈夫かい」
「ウン」
「死んだ人は正しく葬ってあげないと幽霊になって出てくるんだよ」
「ウン」
「だから、ぼくらも正しくやり遂げないとな」
「ウウン」

 弟は首を振った。握る手には力がこもっていて、ぼくを水の外へと引きずり出そうとしているようにも思えた。ぼくは、ネックレスに結んであったちいさな布の袋を、濡らさないように口にくわえた。布の袋の中にはかつて父だったものが入っていた。さらに、家を出るときからふところに忍ばせてあったもうひとつのちいさな布袋も、濡れないように口にくわえた。それから、弟の手を離し、わきの下に手を入れ、おおきく息を吸って持ち上げ、ぼくの肩の上に乗せた。弟の服の中の水がぼくの胸や背中に流れ込んだ。

「あいつらの言うことなんて聞いてどうするんだよ。兄ちゃん」
「……」
「誰にも迷惑はかからないよ」
「……」
「また、持って帰ってもばれないよ」
「……」
「また父さんと3人で暮らそうよ?」
「……」

 ぼくは滝つぼの真ん中にたどり着き、肩車した弟の足から片手だけ離して、うまくバランスをとった。くわえた布の革袋をひとつ取って、中身を水にあけた。もうひとつも水にあけた。中身は拡散していった。それが、前回はできなかった正しいやり方だった。体を包む水に耐えながら、拡散した中身が完全に形を失うまでぼくはそこに立っていた。そのあとはもう一度手を繋いで、弟と水の中をもどった。

 水から上がるとき、ぼくは弟の手を離した。弟はしけた遊びの終わり際みたいにぼくをじっと見つめた。しばらく話をして、別れた。

 

 水辺で葬儀団が戻ってくるのを待っていた。前回は道を踏み外してしまった困惑と重圧で、葬儀団が迎えにきてくれるまでは永遠の長さに感じられたけれど、今回はいたってほんのわずかのあいだだった。葬儀団のひとりが、ぼくにしかできない役目をこなしたばっかりのぼくをねぎらうと、さらにほかの葬儀団がひとりひとりそれに続いた。ぼくは目をつぶって何度も頷いた。なにかを思おうと思ったけれど、心の中にはなにも浮かばなかった。手を握る弟もいなかった。ぼくだけに聞こえる声も聞こえなかった。

 そのあとは、また湿地を渡った。葬儀は折り返し地点を過ぎたばかりだったが、もうすでに、ぼくは生きていた弟と最後に話をしたときのことを思い出していた。