頭痛に悩まされることがなくなった

 

 こどものころ、……小学校高学年~高校卒業までめちゃくちゃ「頭痛」をよくしていた。「片頭痛」か「緊張性頭痛」*1かでいったら「緊張性頭痛」だったと思う。学校にいる間はずっといたいことも多くて、(そんなに牧歌的な環境ではなかったので)まあ基本的には我慢していたのだけど、月に1度くらいは耐えられなくなって保健室で寝ていた。

 

 保健室に行くぞと決めて、保健室まで歩いていると頭痛が収まることもけっこうあった。緊張性頭痛あるあるですね。

 

 しかし……。19歳を迎える年の春から、一切頭痛に悩まされることがなくなったんですよね。正確には、「頭痛」が発生していること自体はあるのだけど、それは2日酔いのときかもうはっきり風邪を引いているときなどに限られていて、これまでのような特に理由のない、持病的な「頭痛」が本当になくなったのである。

 あまりにあっけなくなくなったので、なくなってから2年くらいなくなったことに気づかなかった。ある日突然、「あれ? なんか最近頭痛くなくない?」となったのである。

 

 うれしいことなので、なくなった瞬間に気づいて喜びたかったという気持ちがある。

 

 では、なぜなくなったのか。……まあ理由はわからないのですが、個人的には「生活リズムの変化」が怪しいと踏んでいる。

 ~高校卒業までとその後では、僕の生活リズムは後ろに3~4時間ほどずれているのですよね。そして体感として確実に、ずれたあとのリズムのほうが自分の体質に合っている、という感じがしている。

 

 いま思えば子供のころの頭痛はいつも眠気とともにあった。朝起きたあと、家を出るくらいに始まって11時ごろにピークを迎え、どんなにひどいときでも夕方くらいになると収まってくる。夜まで頭が痛いことはほとんどなかった。

 「人間には個人個人それぞれの最適なリズムがあって~」みたいな話はよく見かけるようになったけど、それだったのではないかと。

 

 気持ちよく納得しているけど、もう一個可能性があって、高校卒業以降大きく変わったことというのが僕の人生にひとつあって、それは「勉強をしなくなった」ということである。

 それまでは週5でみっちり勉強していた→頭が悲鳴を上げた。というのがなくなったことで、頭痛もなくなった、という線も大いにあるのではないか。

 

 そう思うとちょっと、多少は頭痛はしてても勉強はするべきだったのではないか、頭痛がなくなったことを手放しで喜ぶべきではないのではないか、という気がしてくる。僕の人生にとって、勉強をしなかったことで失ったものってけっこう大きいのである。

 とはいえやっぱり頭痛はブルーになるし、しんどいので、まあ……、等価交換くらいかもしれない。

 

 了解。何かを得るにはなにかを失わなければならない。……選んだものと、生きていきましょう。

*1:ふだん起こる頭痛はだいたいこのふたつに分類されるらしい。