2017年8月5日

 

 ひとは一度訪れた場所になんどでも訪れることができる。回想のなかで。いつのまにかなってしまった不自由な時代を恨んでいても(個人レベルでは)しかたがない。たまには回想のなかで遠出でもしてみましょう。

 

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 2017年8月5日。僕は白山にある老人の家に下宿していて、家族は夏休みを使って東京に遊びに来た。旅程の一日が、富士山まで遠出するバスツアーで、僕はそこに合流することになった。上の写真に写っているのが家族の背中である。うちの家族は僕を境にして僕より上には女性しかおらず、下には男性しかいない。

 

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 五合目には雲がかかっていて、ひとでいっぱいだった。あるときおばあちゃんが「人生で、いちどでいいから富士山に行ってみたい」と言って、それを親世代の三姉妹が聞き逃さずおぼえていたらしい。おばあちゃんをここに連れてくるのがこの旅行の最大とは言わないが重要な目的だったとか。とうのおばあちゃんは忘れていたのかとぼけているのか、それとも、そんなことわざわざ気を使わないでもいいのにと気を使っているのか、「富士山に行ってみたい」と自分が言ったことをかたくなに否定した。

 

 もうおばあちゃんは富士山に登れるような年ではないので、バスツアーのプログラムは五合目まで。1時間ほど滞在したあと、僕たち家族は富士山を離れた。

 

 僕は個人的には別件で、このちょうど3週間後にまた富士山に来て、こんどは頂上まで登る予定があったのだけど、僕にだけそれがあることにちょっとだけ罪悪感をおぼえた。

 

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 そのあとは山梨県でもも狩りをして楽しんだ。ももは個人的には大好物のひとつであるが、高すぎてふだんはなかなか食べれない。ももがたくさん食べれて良かった。

 

 ももをたくさん食べていると、僕の人生におけるもうひとつの例外的なももをたくさん食べることができた時期を思い出した。高校3年の夏休みで、休みのあいだはずっともう片方の祖父母の家に下宿し、起きているあいだはずっと受験勉強をしていた。そのとき、なにかの拍子に「ももが大好物」といったら、その日からおばあちゃんは毎日、6個パックのももを買ってくるようになった。

 

 ももというのは、食卓に上ることのすくない、レアな果物だったからこそ好きだった、というところもあって、そんなにもも攻勢をされてもありがたみなくなっちゃうし最後には飽きすら感じちゃったんだけど、でも、いまとなってはいい思い出だ。

 

 そのおばあちゃんはいま脳に出血があってリハビリ中。下宿していた家も住人がいなくなってしまった。ホームにはなんどか行ったんだけど、その時期僕は大学を卒業できず、卒業後の進路も決まっていないという散々な状況で、このふがいない姿を見せたくないという気持ちのほうが強くなってしだいに足が遠のいてしまった。

 

 こんなにたくさんのものをもらっているのになにも返せていない。俺はなにをやっているんだろうか。

 

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 そのもも農園では(当時とても流行っていた)ハンドスピナーが売っていたので買った。正直ハンドスピナー側の人間であるという自覚はあったが、流行に乗っているみたいに見えるのはいやなので買っていなかったんだけど、もも農園という面白レアシチュエーションで買うのであればセーフだろ、と思った。

 

 間違って洗濯してしまう、といういかにもハンドスピナー側の人間っぽい理由で、このハンドスピナーはこの当日に壊れてしまうのだけど、洗濯機のなかで大回転してそのまま果てたのだということを思うと、ハンドスピナーにとっても美しい死にかただったのではないか。

 

 武士が畳の上で死ねないように、ハンドスピナーも止まったままでは死にたくないのだ。