「閉」ボタンを迂闊に押せなくなってしまった

 

 都内に好きなバーがある。たまに友人を誘っていっしょに行くんだけど、そんな友人の中には、バーを気に入ってソロでも行くようになってくれたひともいて、なんというかうれしいことです。

 

 友人たちとバーの店主のあいだで「(僕の名前)くんって店主さんから見てどういう人なんですか?」といった話になることがあるらしい。で、そういう話になったとき店主さんは、僕の人となりについて好きな部分を端的に表すエピソードとして、「エレベーターに乗ったときに、『閉』のボタンを押さない」というのを挙げている、ということを最近知って、震えが止まらなかった。

 

 たしかに、店主さんにそういう話をしたことがある。昔、テレビかラジオかで誰か芸能人が「爆笑問題の太田さんから聞いた話なんですけど、どこかの会社が自社ビルのエレベーターから『閉』のボタンをなくしちゃったんですって。そうしたら年間何億って電気代が削減されたらしいですよ」という話をしているのを聞いて、当時エコだった僕は、「なるほど、これからは『閉』ボタンは押さずに済ませよう。どうせ待ってれば勝手に閉まるし」と思い、実際にそうするようにしていたのである。

 

 「ほっとけば閉まるものをわざわざ閉めない」というのは、僕を象徴するエピソードとして友人たちにも納得を持って受け止められたらしい。

 

 うわ~! ちょっと待ってくれ。たしかにエレベーターの「閉」を押していない時期はあった。その当時住んでた家もそれまでの家も低い階にあったし、学校でもバイト先でも日常的にエレベーターを使うことはなかった。

 しかし今僕が住んでいるのは、マンションの上のほうの階である。その話を聞いた帰り道、マンションの1階で、僕はおそるおそるエレベーターを呼び、つとめていつもの習慣どおりに乗ってみた。階ボタンを押す、その指は絶対、……絶対いつもの感じだと「閉」ボタンを押してるんだよなあ、と思いながらひっこめた。

 

 これは大変なことになってしまった。「ほっとけば閉まるものをわざわざ閉めない」人間として、今や僕は友人に認知されてしまっているのだし、正直「ほっとけば閉まるものをわざわざ閉めない」キャラはなんか自分でも、自分のありかたとしてなんかちょっといいなと思うのである。……せっかくいまギリ「ほっとけば閉まるものをわざわざ閉めない」人間として内外ともに生きているのだから、それを嘘にしたくない。

 

 というわけで今日も、うっかり「閉」ボタンを押して嘘の人間になってしまわないように気をつけながら帰宅したところである。つねに意識の中に監視官を置いておかないといけないのは疲れるが、嘘になってしまうよりはずっとましだ。

 いまは再び、胸を張って言えます。僕はエレベーターに乗るとき「閉」ボタンをわざわざは押さないタイプの人間*1です。そういうふうに、僕のことを見てくれるとうれしい。

 

*1:ただ、個室内とか外に人がいるときにボタンを押さずにほおっておくと、ちょっと迷惑になる。あくまで! 押さないのはあまり誰もいない場所で空いてるエレベーターを使っているときだけですよ。