長編のことを考えるのをまた生活の一部にしたい

 

 pixivにアカウントを持っていて、そこでラブライブ!の2次創作ssを書いていたのだけど、ずっと製作中だった長いお話がちょっとまえに終わって、身軽になった気分である。

 

 いま数字を見てみると92万文字あった。読もうと思うとちゃんと土日がぜんぶ潰れるくらいの分量ではないかと思う。そのうえオメガバースであり、……そのためどうしてもR-18タグがついちゃうんだけど、実用的なところはないお話である。さらに時間もかなり長いことかかっていて、第1話をpostしたのが2017年の11月である。足掛け5年だ。*1

 読まれる要素がなに一つないが、エゴサをしてみたら、何名かには刺さってくれていたみたい。うれしかったです。

 

f:id:kageboushi99m2:20220305213358j:plain

 こういうふうに時間をかけて長編のストーリーを完成させた経験が人生に何度かある。

 ひとつ前はやる夫スレで、能力バトルものだった。これもちゃんと読もうとすると週末を使い果たすくらいの分量がある。……自分なりの能力バトルストーリーを考えるのって通過儀礼みたいなところがあると思うので、通過できて良かった。

 その前もやる夫スレで、両親が離婚する男の子が離島で夏休みを過ごしながら、41年前に起こった神隠し事件の謎を解く……、という立てつけの、ミステリ風味ジュブナイルといった感じのお話で、こちらはたぶん2~3時間で読めるのではないか。ただこれもぜんぶ作り終わるまでに1年3か月くらいかかった。

 

 これを、またやりたいんですよね。

 

 短編のお話をポンと作るときとは違って、長編を作っているときって、その取り組んでいるところのお話が生活の一部になる感覚があって、それがけっこうくせになるのである。

 シャワーを浴びてるときとか、移動時間とか、ちょっとした生活のすきま時間になるとずっと「この物語はつぎはどういう展開になるのか?」ということを考えるし、日常生活で触れるもの、映画とか旅行とか仕事とかぜんぶのなかに、この後お話のなかで使えそうなことを探してしまう。

 

 そして、ふだん考えていることがどうしても物語のなかに組み込まれてしまう。1番最初の「神隠し前夜」に取り組んでいた時期には、「僕が人生のなかで親しんできた、『物語を読むこと』というのは実際の人生を生きることとどういった関係があるのだろう」という疑問にも取りつかれていて、実際ストーリーはこの疑問について個人的に考えたことが反映されたものになっている。

 

 「アスキィの奇妙な知事選挙」の時期には、……これに関しては正確に言うのが難しいのだけど、あきらめてざっくり言うなら「現実の複雑さ」というのが個人的に最も考えていたことだった。読みかえしてみると、人生でぶつかった難問に対する、……答え!というほどはっきりはしてないけれど、でも俺はこうするよという対決姿勢みたいなものが、やはり作成したストーリーのなかに書き込まれている。

 

 「Colorcoded!!」では「ケアと関係性」について考えた、……のだけど、さすがに足掛け5年は長かったので、重点を置いて考えているテーマがちょっと物語の終盤では変わっている*2

 個人的にはこれをおおむねポジティブにとらえている。製作物はもちろんそれ自体として目的なのだけど、同時に、自分が人生のなかで考えていること、知りたいと思っていることに近づくためのツールでもあるのだ。物語のなかでなにが起きるか、状況がどうなっていくか、そのなかで登場人物が何を考え、どう変容し、どう立ち振る舞うかを考えることは、自分の人生で出会った問題について頭で抽象的に考えることといい感じに相補的になっていて、お話を考えているとすごく「わかってくる」のである。それがとても楽しいのだ。

 

 というわけで、またどっぷりと取り組めるような、終わるまでに2年くらいはかかるような長い話をまた作りたいなと思っている。いいアイディアが浮かびますように。

*1:とはいえ最初の1年半くらいで8割までは終わっていたのでこれはさぼり過ぎである。もうすこし縮められた。

*2:それが作品としての完成度を損なっていませんようにと祈ってはいるが、たぶん数年後に見返したら「損なってるな~」と判断する気はする。まあしかたがない。お話作りは難しい。