意外とパンクだ~藪内亮輔『海蛇と珊瑚』~

 

 藪内亮輔さんというひとの歌集『海蛇と珊瑚』を読んだ。印象に残った歌をいくつか。

 

花束にほそき暗やみ、そこに挿すさらに三四五本の花かな

 最初の50首のまとまりは、すごい短歌の賞で高得点を取ったものらしい。人の死を、水や花といったモチーフの繰り返しを交えつつ、冷静ながら劇場を含んでいることが伝わる感じで描いている連作で、ふだん短歌の連作を読んでいても「まとまったテーマがどうやらあるな」ということにあまり気づかないタイプなのだけど、「花と雨」と名前のついたこの連作は気づいたのでありがたかった。

 「花束にほそき暗やみ~」のこの歌は、この連作の作風を代表するような歌で、花束に花を挿していくという葬式をイメージさせる、言っちゃえばふつうの光景のなかに、抑圧された深いものを見つけている。

 

護るため鉄条網は張らるるをその棘先に光る雨滴は

 最初の50首では、トラディショナルな意味で「良い」歌が目立っていて、それからちょっと離れた価値観やこだわりで作られている歌は「いいアクセント」くらいの感じで配置されているので誤解しちゃったけど、どうやらトラディショナルな「良さ」というよりはもっとパンクなスタイルを目指している作品集のようである。

 この「鉄条網」の歌もその文脈で印象に残っていて、一瞬いい感じの歌に見えるのだけど、その次には、「護るため」がかなり「わかるけど何を?」と思わなくもないそんなにきれいじゃない言いまわしだったり、雨滴にフォーカスがいくまえに「棘」って先に言っちゃう丁寧じゃなさだったりするのがちょっと瑕疵のように見えるなあ、とか思っていたが読み進めるうちに、

 

キリストの画像をネットで手にいれて部屋を真っ暗にして光らす

言葉から途方に暮れて立つてたら 深谿 しんけい にさす雨は長ーい

 けどまあ、そういうディテールに細工をして「良い」作品にするとは別の方法で、別の場所を目指している歌だからこの形になっているのだろうな、と思った。意外とパンクである。

 

月の下に馬頭琴弾くひとの絵をめくりぬ空の部分にふれて

 この馬頭琴の歌などはどう見ても傑作で、本の最後の部分に置かれている「解説」的な文章にも「この歌集は『馬頭琴』の歌のようにいい歌もあるが、良くない歌もたくさんある。若いからそれでもいいが。でも若い人からこの『馬頭琴』の歌のようないい歌をたくさん見たいものである」みたいな趣旨のことが書かれている。……けどこの作者が進んでいく方向はそうじゃないんだろうな、という感じである。

 こういう上手い歌は作れるから、「たまには作っとくか」という感じで作っているんじゃないでしょうか。

 

水牢に花をひとひら投げ入れる仕事がしたい薔薇をかかへて

 個人的に一番印象に残ったのがこの歌。かなりグロテスクな「仕事」のネタふりをして、自分が手に持っている薔薇の話で終わらせることによって、いやそもそもこの仕事があるような世界観って何? みたいなところに思いが行くようにさせる、たんなるマニエリスムではなく、広がりを感じさせるような工夫のある面白い歌だと思いました。