好きになっちゃうのは…

 

漫画やアニメで、「こういう性格だと絶対好きになっちゃうなぁ」ていうキャラクターの性格とかってありますか?

 アニメや漫画のキャラクターを好きになるやりかたにはいろいろあるでしょうが、僕は、もちろん対象として好き、というキャラもいるにはいるのだけど、基本的には、自分を重ねることができるキャラ、自分の「こんな人間でいたいな」という希望の延長線上にあるようなキャラに心をささげがちである。

 こういう好きになりかたをしていることには一定の利点がある。フィクションを読んだり視聴したりして、なにを好きになるのかを調べることで、自分が自分のことをどんな人間だとみているのか、自分をどのような人間でありたいと考えているのかがわかり、それが実生活を生きていくうえでの指針やルールのようなものを与えてくれるのである。

 

 具体的なキャラクターを3名挙げて、その好きな部分について挙げることでこの質問への回答としたい。

 

普賢真人

 もともと全般的に優男キャラが好きだったということもあるのだけど、普賢真人はそのなかでも群を抜いて好き、というか崇拝していた。

 恐るべき受動性と、それにもかかわらず周囲に一目置かせている雰囲気。敵ではないと感じさせると同時に、敵に回したら厄介なことになると感じさせるところがあって、それは無法地帯だった地元の中学校で、大過なく卒業するために僕の目指していた立ち位置と重なっていた。

 

 あとこの人は合目的性があれば簡単に自分の命を切れるようなところがあって、その潔さや執着のなさも目指しているところであった。僕にとっては、最初に紙の上で出会った、人生のロールモデルだったのかもしれない。

 

歳納京子

 この人、いちばん素というか、いっしょにいて飾らないでいい友達といっしょにいるときの僕の動きとだいたい同じような動きをしていて、見ていて苦々しくも、切なくも、うれしくもなってしまう。

 根底に他人への畏怖だったり、コミュニケーションが成り立ってこなかった歴史みたいなものがあるんだけど、精神的な器用さでそれを乗り越えていて、だけどその乗り越えかたにちょっとした懸念がある、といった読みかたをしていて、その読みがそのまま自分にも刺さる。

 

 いちばん顔を覆ったエピソードが、演芸大会を企画してその締めでみんなへの感謝を伝える、みたいな回。それをやるにいたる気持ちがめちゃくちゃわかるし、ひょっとしたら僕も人生でなんどかやったかもしれない。恥ずかしすぎてフィクションとして受け止められなかった。

 

三宅日向

 過去にコミュニケーション失敗の歴史があって、その埋め合わせみたいに快活さを手に入れた、みたいな背景がしっかりと描かれているキャラですね。ノリの良さや感じの良さが、かかわりを拒絶する壁としても使えることが表現されているキャラクターで、そのねじれに抗いがたく好感を持ってしまう。

 

 パスポートをなくす回はパスポートをなくすことも(結局見つかった場所も)含めてすべて「俺がおなじことをしても不思議ではない」と思えるような感じで、他人事として観ることができない。

 ああいうタイミングでパスポートをなくしたら、南極に行けなくなることよりも、周りの足を引っ張ることを恐れて、けろっとみんなに「先に行けよ」なんて言っちゃったりする、そういうところが非常に「俺もおなじことをするんだろうな」と思ってしまって苦い