おひとりさまですか?


 死んだあとはじめて目を覚ましたとき、私は椅子が何脚か並べられた小部屋にいて、その椅子のうちひとつに座っていた。うとうとと舟をこいでしまって、首が筋肉の支えを失ってがくんと落ちてはっと気づいたときのような、さりげない目覚めだった。だけど、自殺のときの記憶はしっかりと残っていて、それに世界の雰囲気の違いから、私はちゃんと死ねていて、ここが死後の世界であるということははっきりとわかった。

 

 小部屋にはドアがあった。ほかに、そこからどこかへつながっていそうなところはなにもなかった。早くここを出て先に行くべきだ、と思うと同時に、行ってしまったらもう戻ってこれないかもしれない、それならしばらくここにいて様子を見たい、とも思った。

 

 小部屋はなにかの待合室のようであった。隅には全身が映る細長い鏡が立てかけてあった。私は暇つぶしにそれを覗きこんだ。そうしているうちに、だれからも顧みられることのなかった、生きていたころの自分を思い出して落ち込んだり、だけどもう死んだのだから、これまでのことは関係ないのだと自分を奮い立たせたりした。時間が過ぎていった。

 

 待っているのが苦しくなってきた。待合室では、生きていた時のころを思い出す以外に、退屈を紛らわせるためにできることはなかった。生きていたころを思い出すのは、私にとっては苦しみでしかなかった。だれも私を相手にしなかった。生きているあいだのひとときひとときがみじめだった。

 

 もうこれ以上、痛い回想のなかにはいたくなくて、ああっ!とやけになった声をあげて、私はドアノブをひねり、待合室の外に出た。そこには天国があった。抜けるように広い空と、どこまでも広がる大地。私が出てきたのは腰の高さくらいの仕切りに囲まれた受付ブースで、目の前には天使がいて、そのそばには跳ね上げ式のカウンターがあった。もっとはやく出ていればもっとよかっただろうに、と後悔した。あのカウンターをくぐれば、そこは永遠の楽園だったのに。

 

 天使は入ってきた私に目をとめ、やる気のなさそうな声で言った。

「おひとりさまですか?」

「え?」

 

 私は見渡した。私の右隣にも、左隣にも、おなじような受付ブースがあって、そこには私とおなじように、天国への受付を済まそうとしている死者たちがいた。私と違っていたのは、その人たちがみな、カップルだったり、家族連れだったり、友人グループだったり、……とにかくひとりではなかったということ。

 

「おひとりさまですか?」

 なんとなく、自分が場違いな気分がして、つい口が言ってしまう。

「い、いいえ」

 

「では、お連れさまがいらっしゃるまで、待合室でお待ちください」

 そう言って天使はそっぽを向いてしまった。私は言われるまま、ドアを戻って待合室の椅子に座った。頭に手を当てて考える。……そうか、だから天国の手前に、こんな待合室があるのだ。生きている間いっしょにいても、死ぬ時はおなじとは限らないから。ほかのひとはみんな、大切なひとがやってくるのをここで待ってから、いっしょに天国へ入るのだ。

 

 私には、……来てくれる人の当てなんてあるはずもなかった。あったら、そもそも自殺なんてしていなかった。

 退屈そうな天使の顔を思い浮かべる。ここで私が、「やっぱり、間違いでした」と言って天国へ行こうとしたら、それはどんなに滑稽に見えるだろうか。やっぱり、ここで待つしかない。でも、きっと誰もこない。

 考えはめぐりめぐった。早く天国へ行きたい。ここで待つしかない。でも、誰もこない。