その日に限って電車は来なかった。地下鉄のプラットフォームで私が目にしたものは、聞いたことのない行き先が縦に並んだ発車案内板であり、リズミカルにボタンを光らせる自動販売機だった。人はだれもいなかった。
ベンチに座って、来るはずのない電車を待っていると、だれかがプラットフォームに続く階段を下りてきた。それは死んだはずの私の友人で、そいつは私に気づいて、すこし固まったあとこちらに近づく。私もそいつに気づいて、距離を縮めるのをこちら側からも手伝おうと思って、ベンチから腰を上げた。おたがいがおたがいに気づいた、中間地点くらいで私たちは落ち合った。
「ここのところどうよ?」
「まあ、悪くはないかな」
そのとき轟音が鳴って、速度を緩めない電車が私たちのいるホームを通り過ぎた。空気を引きずっていき、微粒子のひとつひとつを私たちの空間から入れ替えた。静寂が戻ってくるまでには時間がかかった。「行こうか」とそいつは言った。どこへ? と私は思った。「うん、行こう」と私は言った。
思えば、こいつといるときの物事の流れはずっとそうだった。明確な計画はないし、いまの状態のままずっと甘んじていることにも異議はなかった。横になったまま休日を使い果たして、そのあとは口だけで渋って次のバイトに向かって行く、その繰り返しの生活のなかに心地よさを感じていた。けれど、なにかのきっかけがあって、べつのことをしようと本当に思えたら、私たちはどんなことであれ迷いはしなかった。たまたま、そいつのはじめたことは、ぜんぶ失敗して、私のはじめたことは、私を社会につなぎとめるのにぎりぎり成功するくらいには成功した。生死を分けたのはそれだけの差だったのだ。
私たちはプラットフォームを下り、線路に沿って歩き出した。足音が地下の空間に反響し、ふくよかな音になってから耳に聞こえる。私たちのおしゃべりがそこに重なる。
「昔を思い出すな。あのときはお前の家にずっといて、音楽とか映画の話をしていた。美術や文学の話もしたけれど、それは口先だけだった。哲学や数学の話もしたかったけれど、素養がなかった」
「このまま時を戻すみたいに歩き続けて、あのころ住んでいたアパートの最寄り駅までたどり着いたら、おなじことをもう一回、すこし大人になった俺たちでもう一回だけやるのもいいかもな」
私はそう言ったけれど、そいつはなにも言わなかった。なにも言わなかったと思ったら、しばらくして、会話が続いていたかのように取り繕ってそいつは言った。「絶対にやりたいな」
一駅ぶん歩いたが、たどり着いたのはなぜさっきとまったくおなじプラットフォームだった。行き先が縦に並んだ発車案内板。ボタンを光らせる自動販売機。電車がやってきていて、私たちはプラットフォームに上がれるすきまを探した。見つけた場所から、私だけがよじ登った。私は体のほこりを払って、開いていたドアをくぐった。チャイムが鳴ってドアは閉まった。アナウンスが流れ、馴染みのある終点の駅の名前を行き先に告げた。
電車は走り出した。
そのあとすぐに大きな音がして、急ブレーキをかけて電車は止まった。40分間、救護作業が行われているというアナウンスが流れ続けたが、そいつは助からないということを私は知っていた。
そのあと電車はまた走り出した。いつのまにか電車は、私のもともと乗るべきだった電車になっていて、つぎの停車駅で、人々がつぎつぎに乗り込んできた。