本を読んでいて「これをずっと覚えていたい」と思えるような良い文章に出会ったとき、かつ、面倒な引き写し作業をやれるくらい自分の気分も良かったときに、その文章をメモ帳に書き写してテキストファイルで保存しておく習慣がある。
しかしここに保存しているようなものとはべつに、とくに保存はしていないのだけど、忘れられないくらいつよい印象を持ったフレーズがいくつかあって、そのうちのひとつについて書いてみたいと思う。
ぼくの精神には一筋の白髪もないし、
年寄りにありがちな優しさもない!
声の力で世界を完膚なきまでに破壊して、
ぼくは進む、美男子で
二十二歳。
ウラジーミル・マヤコフスキーというロシアの詩人がいて、その『ズボンをはいた雲』という長編詩の冒頭部分に登場するこちらのフレーズがそれである。このひとと同世代であるおなじく詩人のボリス・パステルナークというひとの作品を読んでいて、そのパステルナークさんについて調べたときになんとなく耳に残った名前だった。そのときにこのフレーズも引用されていたと思う。
僕が二十歳になるすこし手前のころ、いちばん僕のメンタルが繊細だったころに、土曜社というインディーズ出版社から、「マヤコフスキー叢書」というマヤコフスキーさんの作品集が、ペーパーバックの廉価版で次々と発売されるという奇跡が起きた。
ママ!
ぼく歌えない。
胸の教会じゃ聖歌隊の席が満員だから!
きらめくようなワードセンス。技術というよりは、ある種のオーラをまとっていないと恥ずかしくて見てられなくなるようなフレーズを、 てらいなく、恥ずかしくて見てられなくなるんじゃないかなんてこちらが浅い勘繰りをしていることが恥ずかしくなるような胸の張りかたで繰り出していて、一撃でメロメロになった。素晴らしいというよりは、ひとを虜にするような詩を書くひとである。
ぼくの精神には一筋の白髪もないし、
年寄りにありがちな優しさもない!
声の力で世界を完膚なきまでに破壊して、
ぼくは進む、美男子で
二十二歳。
問題のフレーズに戻ろう。精神を形容する言葉に、精神を格納している頭の部分にある白髪というフィジカルな対象を持ってくるのが面白い。老若のこの対比はこの一部分を通してずっと効いていて、優しさなんて平凡な言葉に「年寄りにありがちな」なんてイキりついた余計な形容句をつけてくる。その勢いで、勢いがなきゃこんなこと言えないよっていう三行目。それを若干減速しながら、余韻を漂わせるように、名乗り口上のようなフィニッシュ。
詩人として、世界に向かって声をかける人間として、見られ批判されるステージにいままさに飛び出そうとしている人間の持てる最大の勇気で、孔雀が羽を広げるのとおなじようなことをしているように見える。それがかっこよかった。
優しい人たちよ!
あんた方が大好きなのはヴァイオリンだ。
ティンパニが好きなのは乱暴者に決まってら。
でも、ぼくみたいに自分をくるっと裏返して、
裏表なしの唇ひとつになる芸当は到底できまい!
二十二歳の誕生日を迎えるときはすこし感傷的になりながら、この詩を読みかえしたものでした。僕の精神にはまあまあ白髪はあったし、年寄りにありがちな優しさもけっこう持ち合わせてはいた。