絶対音楽、クリプケンシュタイン~ブライアン・エヴンソン『ウインドアイ』~

 

 音楽をふたつに分けるある基準があって、それが、「音楽以外のなにかを表そうとしているか」である。たとえば、勇ましい旅の光景を表している(と思われる)ドラクエⅢのフィールド曲「冒険の旅」はこちら側のカテゴリに当てはまる曲、ということになる。そうではないほう、純粋に音楽としての完成度を求める音楽を絶対音楽という。

 

 クリプケンシュタインというのは、ソール・クリプキルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの名前から取られたかばん語で、「68+57の答えはなぜ5ではないのか、5であっても一向にかまわないのではないか?」という、とてもキャッチーなとある言語哲学のトピックを紹介するときにしばしば冠されている。

 

ウインドアイ (新潮クレスト・ブックス)

ウインドアイ (新潮クレスト・ブックス)

 

 ブライアン・エヴンソンは個人的にはお馴染みの作家である。けっこう長い期間、海外文学について語るときによくこの作家を引き合いに出していた。たとえば、「エイミー・ベンダーには話の組み立て方においてブライアン・エヴンソンに通じるところがあって~」などというように。ただ実際は読んだことはなく(正確には数年前にこの短編集の表題作、「ウインドアイ」だけは本屋さんで待ち合わせしているときに立ち読みした)、ずっと読んだふりをしていた。

 知名度があって、とくにそのスタイルによってよく知られている作家は、読んだふりをして語るのがとてもやりやすいので非常にありがたい。

 

 ずっと読んだふりをしているわけにもまあいかないので、今回とりあえず読んでみました。すごいなあと思うのはストーリーメイカーとしての奇妙なほどのストイックさ。SFやサイコ・スリラー、ポストモダン文学、「奇妙な味」の探偵小説などなど種々の文学上の遺産を借用しつつも、それらのフレーバーへの執着はとくに感じさせない。ジャンルどころか、物語の外部性みたいなものがほとんどない。手元にあって使えるものを使っているだけで、エヴンソンの興味はおそらく、どういう物語を形作るのか、というところに純粋に注がれている。

 

 しかし外部性なしで物語を組み立てるのはけっこう難しい。「はしごを外して読者を宙ぶらりんの認識リセット状態に置く」ことを基本戦略としているエヴンソンの作風にあってはなおさらだと思う。作者だけでなく、読者のほうにも困難な作業が要求されていて、あたらしい短編が始まるたびに我々は、この物語がどういうルールによって構築されてゆくのかを、物語外からのヒントなしに推測し、そのルールに従って先の予測を立て、そして最後にはルールそのものによって裏切られないといけない。

 

 最短のものは見開き2ページで終わる、かなり短めのものが揃っている短編集だが、読むのにはかなり体力がいる。一作読むとそれだけでかなり認知に負担がかかって、なかなか次の話も読もうという気分にはなれなかった。

 

 個人的なベスト短編は、「不在の目」というお話。主人公はアメリカのホラー映画みたいなシチュエーションで片目を失い、しかし失ったはずの目でそれぞれの人間にまとわりついているべつの生き物が見えるようになる。べつの生き物はその宿主となる人間の状態に呼応し、宿主本人を傷つけているようだった。閉鎖病棟で拘束された主人公を、主人公の生き物が連れ出す。どうして私を助けてくれたのか? 生き物は主人公を、今にも死のうとしている病人のところへ誘導した。病人の死とともに、病人についていた生き物も消えた。そのことに、主人公の生き物は衝撃を受けているようだったが……?

 人にまとわりつき、その人と呼応してその人自身を傷つける生き物、というモチーフはかなり鮮烈で、エヴンソンにしてはめずらしく現実の世界に対応物を持つメタファーのようにも思えるのだけど、話はもうほぼ手癖と言ってもいい、読者を空中に吊るような終わりかたをする。非常にチルな傑作でした。