「追悼 春原黎姫によせて」

 

 とあるプラットフォームの開発者をtwitterでフォローしていて、そのひとが自分のサービスの仕様についていろいろ考えていた。ありうる仕様のうちの、ひとつ例としてpixivの画面をスクショしてあげていた。その画面に載っていたのがこの小説だった。

 

【オリジナル】追悼 春原黎姫によせて

https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11137042

#オリジナル #ピクシブ文芸 #文学 #なにこれすごい

 

 なんだか気になって、検索して読んでみた。キャプションによると半年前に同人誌に(詳細は伏せられていた)寄稿した作品をwebに採録したものだということだった。pixivのアカウントはこの小説1作を投稿するためだけの捨てアカのような状態で、最低限のプロフィール以外にはなんのアクティビティも見られなかった。

 

 とても面白かった。以下、おおきなネタバレにならない程度の感想を書いていきますが、小説自体もそこまで長くない(pixivの試算によれば、読了目安時間は17分だそう)のでお暇な方はさきに小説のほうを読んでもらえると嬉しく思う。

 

 「月間文芸」八月号に依頼を貰ってからというもの、書こう書こうと机に向かってみはするのだが、どうにも筆が進まない。

  お話はこのように書き出される。読み始めてすぐに、春原黎姫という架空の舞台女優によせて書かれた、とある文筆家の追悼文だということがわかる。春原黎姫というのがどのような人間で、どのような特別な才能を持った芸術家だったのか、そしてどうして彼女は死なねばならなかったのか。それが語り手である文筆家の視線から語られる。

 

 素晴らしいのは、語られている対象(死んだ女優)を語りながら、その語り方によって語っている側(文筆家)についての情報も読者が得られるようになっている、というところ。読みながら読者は、女優だけではなく文筆家についても、それがどのような人物なのかのイメージをつかんでいく。語りの内容と語りのスタイル、というふたつの違ったチャネルから読み取れる情報が、終結の部分で重なり合って解決する。それがこの小説の基本構造となっている。

 

 このように、語りの内容と語りのやり方で異なった情報を伝えて、そのずれを使って効果を生み出す、というのはかなり高等な文学テクニックであり(その有名な一変種には「信頼できない語り手」という名前がついている)、pixivではあまり見たことがない。上位0.1%くらいの信頼できる書き手なのは間違いないでしょう。

 

 タイトルにもなっている女優の名前はほとんどの人が読めないと思うが、作中でもルビが振られることはなく、読んでいるひとは頭のなかでてきとうに仮の音を当てて読んでいくことになる。読み進めていくと正しい読み方を知ることになるのだけど、その知らせかたがとても良くて印象に残る。個人的にはここがこの小説のベストプレーだと思っている。読者とのコミュニケーションをとって書かれていてすごい。

 

 彼女の名を一躍広めることになった「アルカロイド」での両性具有の少年の好演、「焔」での岡田以蔵役にてみせた、脆さと凄絶さを併せ持つ名演などは、特に諸君の記憶に新しいところだろう。

 こういったガジェットも丁寧に作られている。女優が出演したという架空の劇がどのようなものであっても大筋には関係ないけれど、あまりセンスのないことを書いてすべってしまうとお話全体に影響がでる場合があるので、なかなか書く側としては難しい部分だと思う。難なく乗り切っている。

 

背筋を伸ばして、猛然と立つ。それだけで場の視線をすべて吸い寄せる。陶器のように気孔のひとつすらみえぬ小作りな顔に、すっと細く高い鼻梁が通り、土気色がかった葡萄色に塗られた唇がきっと引き絞られている。綿で補整されてはいるが、それでも華奢で、脂肪のやわらかさと言うより寧ろ骨と腱の硬さを思わせる肢体は、艶めく鉱物が人の目を魅了するが如く、無性的な引力を孕んでこちらの眼を惹き付ける。そして、瞳だ。

  書く側としてはかなり気持ちよくて、いちばんの文章力の見せ場でもあるのだが、小説を成り立たせる上では必ずしも必須ではないこのような部分を、僕は勝手に「ギターソロ」と呼んでいるのだけど、そこもやり切っている。とても素晴らしい。

 

 最初にも書いたとおり、作者のpixivアカウントにはこの作品を書いたということ以外の情報がない。その他の方法でも調べてみたけれど、いまのところまだ何もわかっていない。