つまり勤め先が同じ二人の男という関係~丸谷才一『持ち重りする薔薇の花』~

 

わたしは雑誌や何かで「青春」といふ言葉に出会ふと、ときどき、いつもではありませんよ、ときたま、あのときの二十代の彼らの、野心と希望と不安とがきらきら光ってゐる顔を思ひ出す。それを思ひ浮べて、ほら、糖尿病の人が糖分を吸収しない薬をのんで、それがききすぎて、つらくなつたとき、ポケットから葡萄糖を出して口に入れるといふぢやありませんか。あれみたいにして「青春」をすこしばかり服用するんですよ、一服。砂糖みたいぢやなくて、ちよつと苦い味ですけどね、でもほのかに元気が出る。さう言へば、葡萄糖も苦いんですつてね。誰かに聞いたことがある。

 丸谷才一さんという人の書いた『持ち重りする薔薇の花』という短い小説を読みました。

 

薔薇の花束を四人で持つのは、面倒だぞ、厄介だぞ、持ちにくいぞ――世界的弦楽四重奏団(クヮルテット)の愛憎半ばする人間模様を、彼らの友人である財界の重鎮が語り始める。互いの妻との恋愛あり、嫉妬あり、裏切りあり……。クヮルテットが奏でる深く美しい音楽の裏側で起きるさまざまなできごと、人生の味わいを、細密なディテールで描き尽くした著者最後の長編小説。

 本の背にはこういうあらすじが書かれているけれど、これを読んで思うほどカルテットのどろどろした人間模様に焦点が当たるお話ではない。

 むしろ、カルテットの人間関係のこじれはダミーの筋で、そのほかにもさまざまな「人間が社会のなかで生きているとこういうことがあるよなあ」というようなことを、過度に盛り上げすぎることなく、……仲のいい友達がふとしたタイミングで、いままで言ってなかった複雑なことを語ってくれるときみたいな淡々とした感じで語られていて、それを聞けるというのがすごく面白い小説というふうにうつった。

 

 子供のころから小説にかぎらず何かしら物語を消費するのが好きだったんだけど、それのなにが好きだったかというと、そのポイントは、物語に登場する自分より年長の人物が、その人の生きる時間のなかで積み重ねてきた、……いままさに積み重ねている出来事を語ってくれることにあったんじゃないかと思っていて、その昔ながらの楽しみのポイントを思い出させてくれた作品だった。

 

 これにひきつづき、とてもとても「この美意識、わかる…」と思いながら読んでいた。丸谷才一、最高っすね。

 

「両方ともそしらぬ顔で……あんなことはなかつたやうにして……つきあつているらしい。つきあふと言つたつて、まつたく練習と演奏だけですがね。つまり勤め先が同じ二人の男といふ関係」