「ドラえもんのひみつ道具を一つもらえるとしたら」

 

 という質問をされたり、またはとくにだれからも話しかけてはもらえなかったけれど自主的に考えていた、というかたは多いのではないだろうか。

 

 その一点に特化したドラえもんファンブログがある。その名も「ドラえもんひみつ道具を一つもらえるとしたら」である。

 

ある日、ドラえもんが自分の元へ突然やってきて、ひみつ道具を一つだけくれたら……。

当ブログ『ドラえもんひみつ道具を一つもらえるとしたら』は、誰もが一度くらいは妄想したであろうそんな「もしも」をあらためて考えます。

そのひみつ道具をどう使うか。世間に公表するか、しないか。自分の生活や世の中はどう変わるか。などなど、妄想を繰り広げながらひみつ道具を紹介する、いわば「ひみつ道具のレビューブログ」です。

(ブログトップより)

 最近このブログにはまっていて、ひまな時間を見つけては読み進めていた。「ひみつ道具レビュー」とかんたんに言ってしまっているが、たくさんの工夫が凝らされている。

 

f:id:kageboushi99m2:20190817101053p:plain

 ブログ内では、ひみつ道具たちを上記の5つの観点から評価している。ともすれば主観的な好き嫌いだったり、具体的なシチュエーションの妄想だったり、あるいは原作での使用描写の異同についてのうんちくを語るだけ*1に陥る可能性があるこのコンテンツをまっとうで有用なものにしているのは、この緻密な工夫なのだと思う。

 

 好きなページを個別でいくつか紹介していく。

 

賃貸物件の壁にペンキを塗ると面倒なことになるので、はがせる壁紙シールなどで下地を作る手間が余計にかかります。加えて重力ペンキのピンク色が気に入らなければ、更にその上に壁紙を貼るなど面倒が重なります。

 ハートフルなエピソードで有名な「重力ペンキ」の項では、実際に重力ペンキを塗って狭い賃貸物件の壁や天井を床として活用する際に起こりうる問題についてまで考察している。

 

確かに「罪を憎んで人を憎まず」という理念は大層立派だけど、「許さない自由」だって認められてしかるべきです。加害者が謝って、被害者が許す。それがいつも救済になるとは限らないでしょう。

どちらが被害者というわけでもない対等な争いだと、今度はそれを止める根拠が曖昧になります。対等な争いは競争です。競争のない社会は停滞し、ひいては腐敗します。

 周囲にいる人間を強制的に和解させる「平和アンテナ」のレビューでは、はたして「平和」というものがつねにあらゆる争いよりも良いものであるのか? という哲学的な観点から道具の有用性に切り込んでいる。

 

 「のろいのカメラ」という印象的な道具がある。これで誰かの写真を撮るとその誰かの人形がカメラからぽとっと落ちてくる。その人形に何かをすれば、それがそのまま取られた本人に降りかかる。例えば人形を踏めば、本人も踏まれた痛みを感じるし、冷蔵庫で冷やせば本人も寒くなる。バラバラにすればバラバラになる。

 呪いたい相手の人形を所有する、自分の手の内にする、という使用演出も、サディスティック心をくすぐる。お話としては非常によくできたひみつ道具だと思う。

 

日本に古来から伝わる呪いとして「丑の刻参り」があります。丑の刻(午前1時から午前3時)に藁人形を木に釘(くぎ)で打ちつけるという儀式です。そのさまは、正気の沙汰ではありません。

呪いを実行したとき、すでに自分の片足が墓穴に入っているのです。

というわけで、もしもドラえもんひみつ道具を一つもらえるなら、のろいのカメラの優先度は星0つです。

  しかしブログ作者さんは、明らかに人を傷つけるためにしか使えないような道具には、基本的には最低の評価を下している。常識的な良心に従って裁定を下しているのはとても立派なことだと思う。それができない人の、この世になんと多いことだろう。

 

 個別の道具をレビューするページのほかにも、ひみつ道具でかなえたい願望別のリストだったり、総合ランキングなどのページも興味深い。とくに、「ドラえもんひみつ道具を一つもらえるとしたら」ランキング1位に輝いたひみつ道具のチョイスは、「え、これ?」って最初思うけど、たしかにいわれてみれば納得してしまう。そういう説得力がとても魅力でした。素晴らしいブログです。

*1:タケコプターは昔はヘリトンボと言ってだね…」とか。