自己中心的なリミナルスペース好き

 

 リミナルスペース、僕はもちろん大好きです。

 

 ……けどリミナルスペースについてのコメントをいろいろ見ていたら、僕の「リミナルスペース好き」の感覚は典型的なのとはちょっと違っているみたいだった。

 「人がいるはずなのにいない」「不在の感覚」「不気味さ」みたいなのがリミナルスペースの良さとして語られることが多いようであるが、個人的には「不在」「不気味さ」みたいなのはほとんど感じないし、どちらかというと安心感とかほっとする感じがする。

 

 手がるなリラックス手段としてリミナルスペース画像を活用している。

 

 なぜリミナルスペースでリラックスできるのかというと、昔欲しいドラえもんひみつ道具について考えた回で、「入りこみ鏡」を指名したことと通底するものがある気がする。誰もいないところでひとりでいたいという根本的なニーズを持っているのである。

 しかもそれがプライベートなスペースではいけない。公共~半公共の空間が、無人で、僕だけが独占的に利用できるものとしてぽんと与えられる、ということにこの上ないうれしさを感じているっぽいのである。誰ともかかわらずに空間を探索可能なことに素晴らしさを感じる。たくさんいる「リミナルスペース好き」のなかでもけっこう自己中心的な人間なのかもしれない。

 

 実際に体験したリミナルスペースの思い出をいくつか。学生時代に1年ほど、図書館が改修工事で使えなくなっていて、かわりに安田講堂*1が自習室として開放されていた時期があった。

 ただ周知が足りなかったのか、実際に使用している人はほとんどおらず、何時間も僕ひとりしかいない、みたいなときが結構あってとても満喫した。

 

 もうひとつがエルミタージュ美術館。一部屋ぜんぶゴッホ、つぎの部屋もぜんぶゴッホ、となりの部屋はぜんぶゴーギャン、みたいなことになっているすごい美術館だったが、そういう人がたくさんいるところじゃなくて、中央アジアの騎馬文明の品々、みたいなのが展示されている部屋もたくさんあって、そこはリミナルスペースだった。永遠にいられた。

*1:ふつうは学生も立ち入ることができない。