究極のボトムアップマンガ~大暮維人「天上天下」~

 

 大暮維人のマンガ、「天上天下」を読みました。僕の最終的な感想はほかの多くの人が思うであろうことと同様、「意味不明」のひと言なのですが、大暮維人の作品にそれを言うのはもう野暮ってものですよね。ペペロンチーノに「細長い」と文句を言うようなものである。で、それ以外の部分を拾っていくのであれば、やっぱり楽しめたなあという気持ちになるんですよね、「天上天下」。

 

 まずこの作品は第一話が素晴らしいのですよ。……コマに登場する順に、いかにも主人公という雰囲気の作画の高柳雅孝、なにやら小さいけど実力者っぽい棗真夜、ヒロイン感満載で現れる棗亜夜。そして場面は切り替わって、学園に入学して早々、喧嘩の強さでブイブイ言わせようとしている謎の1年生二人組。この5人の関係とは? これからどうなっていく…?というのを短いページ数で生き生きと描いていて、とてもいい導入だと思いました。だれが本当の主人公なのか、この時点ではよくわからないというのもみそですよね。

 大暮維人はこういう細かなカッコいい演出がとてもうまい作家。この短い話を一番カッコよくまとめる方法を知っている、だからこそ、それの集積として、増築をくりかえした違法建築みたいな全体像の作品をつくっちゃうんでしょうね。

 

天上天下 カラー版 1/大暮維人 | 集英社 ― SHUEISHA ―

 とにかく、グランドデザインなく、そのときの衝動をもとに二転三転しながら進んでいく漫画なのである。どこまでついていけるかはその人次第ですが、どこかでついていけなくなって脱落しても、「このこいつは誰で今何をしようとして戦っているの? ぜんぜんわからない」となったあとでも、ひとつひとつのシーンの吸引力と画力で、なんか読めるんですよ。意味が分からないのに読み続けることができる*1

 

 そろそろ大暮維人さんもキャリアの終盤だと思うので、ちゃんと世間の評価みたいなものが固まるような、批評的決定打みたいなのを読んでみたい。ただの絵がエロいだけのカルト作家なのか。それとも、漫画における構成性と良さの関係にたいして疑問を投げかけるような、ある批評的な到達がある*2作家なのか。今のところどっちの可能性もあって、どっちにも決定打がない。

 今このブログを読んでいて、批評心がある人で、大暮維人に興味を持った人はぜひ「天上天下」から読んでみて、わかったことを教えてほしいなと思いました。

*1:しかも意味が分からないのにとても堂々としているので、読んでいてこっちが悪いのかという気分になる。

*2:例えば意味を解説されてわかったところで、その解釈方針でいい作品なのかと言うとそうではないのですよね。あくまで批評的な価値があるとしたら、この徹底的に全体像がわからなくなりながらも細部の演出だけで力強く進んでいく、制作プロセスにあると思うのである。