トートバッグに写真を詰めてもらう


 きっかけはもちろんあったのだけど、それは重要なことではない。当時、楓さんとはもうすでにとても仲良くなっていて、あえて約束の日付を決めたりしなくても、どちらかが「会いたい」と思ったときに「今夜ひま?」みたいな誘いを送って、都合が合えばすぐにいつもの待ち合わせ場所に向かう。そんな日々を過ごしていた。

 

 楓さんの家までついていったこともなんどかある。ふつうの街にあるふつうの賃貸だったが、中は変だった。壁は巨大なコルクボードになっていて、色とりどりのピンで写真が貼りつけられていた。写真をめくれば、さらにその下にも写真があった。机の上には写真立てが大量に立っていた。カラーボックスにも写真が詰め込まれていた。洗面台に行けば、鏡の周りにも写真が貼られていた。

 ふつうの人間であればここで気持ちわるくなって楓さんとの付き合いからフェードアウトしてしまうのかもしれない。けどそうはしなかった。人間の変わった形の部分を受け入れることの重要さは、ずっと信じてきたつもりだったし、楓さんはとても好ましい、いっしょに時間を過ごすとうれしい気分になれる人だったから。「いい家ですね」と言ったら、「変わってるでしょ」と言われた。最初の日はなにごともなかったように過ごして、数か月たってから、いまあえてふとそれを話題にしてみた、というふうな声を作って聞いた。「楓さん。この写真って、いつ撮ったものなんですか?」

「その時々によるよ」

 まさにそのとおりだ。けど、正論の返事はこの話題に乗り気じゃないことの遠回しな表現ではなかったようで、楓さんは近くにあった桐箱から写真を何枚か取り出して、見せてくれながら懐かしむみたいに振り返った。「これは、沖縄のタイガービーチ。近くにあった定食屋。打ち上げられていた海藻。一緒に行った趣味仲間」

 楓さんが思いのほか楽しそうだったから、安心した。安心が踏み込んだ質問をひとつさせた。「楓さんって、写真が好きなんですね」――どうして? 楓さんはさっきまでとは違う冷たい声で問い返してきた。「どうしてって――」

 その日、一瞬だけ気まずい空気になり、すぐに話題を変えた。それでも、楓さんとの交友は続き、家に招かれれば行ったし、そのなかで自然と写真の話になることもあった。――どうも、この写真は楓さんが自分で撮ったものではないらしい。なぜなら、楓さんが写真に写った物事の話をするとき、それはいつも他人事のような調子だからだ。写真に写った風景の話をするとき、まるで映画を観ているみたいだった。写真に写っている人の話をするとき、楓さんはまるでその人を、昔の知り合いだけど、いまはもう疎遠になってしまった人のように紹介した。そして、あれだけたくさんある写真のなかに楓さん自身を写したものは一枚もなかった。

 

 「いつも使ってる現像屋さんを紹介しようと思うんだけど、いまからひま?」と楓さんから連絡が来たのは、日曜のお昼だった。待ち合わせ場所に行くと、空っぽのキャンバストートを肩に提げた楓さんがいた。楽しそうにも、物憂げにも見える、日曜日の午後に人間の顔によく浮かぶような種類の表情をしていた。

 「この白鳥カフェのところで信号を渡って、小学校に沿って歩く」現像屋さんは駅から離れたところにあり、「この潰れた居酒屋のT字路を左」楓さんは目印をひとつずつ丁寧に確認しながら道のりを教えてくれた。

 現像屋さんは特徴的な明るい緑色の外観をしていた。建物の周りには、わずかに花壇が整備されていた。人がふたり入ってしまえば窮屈な、小さなお店だった。カウンターの向こうには店主が椅子に座っていて、仕事が始まるのを待っていた。

 しばらく楓さんと店主は話をした。そのあと、店主は暗室に下がっていき、しばらく戻ってこなかった。楓さんが質問を待たずにひとり語りをはじめた。「ここでは、思い出と引き換えに写真を現像してくれるんだよ」

「思い出を写真にするんですか?」
「そういうこと」
「思い出はどうなってしまうんですか?」
「写真にしたら消えてしまうよ」

 トートバッグを写真でいっぱいにした楓さんは、使う駅がある方角へ去っていった。

 

 その夜、眠れずに、写真のことを考えた。どうして楓さんは、思い出を写真に変えるのだろうか。思い出がなくなってしまえば、写真を見たときに何を思い出せばいいのだろう。思い出すものがなにもないのに、どうして写真だけを家が埋まるほど保管しているのだろう。思い出をなくしてしまうのが怖いから、写真に変えているのだろうか。写真は、写真以上の何かなのか? それとも、写真未満の何かでしかないのか。

 気づいたら、眠りについてしまい、考えごとは終着点を見つけられなかった。

 それから、楓さんにまた会うのを怖いと思うようになった。けど、べつのときには会いたくてたまらなかった。楓さんが教えてくれた目印をたどって、夢のなかで写真現像店に行った。帰り道はひとりだった。

 

 つぎに楓さんを見かけたのは、偶然入ったイタリアンパスタのお店でだった。隣の席で、ひとりで食器と向き合っていた。楓さんだということにはすぐ気づいたが、むこうは気づかなかった。いちど目が合ったけれど、それだけだった。

 楓さんと会わなくなって3か月が過ぎたときに、ようやく教えてもらった写真現像店を訪れた。現像してほしい思い出のことを伝えると、店主は細かな条件を聞いてきた。途中でうっとおしくなって、投げつけるように言った。「とにかく、楓さんと過ごした時間のことは全部現像してほしいんです」

 思い出が頭のなかから薄れていき、消えるのには何秒もかからなかった。トートバッグに写真を詰めてもらったけれど、なぜ埃を念入りに落としてまでふだんは使わないトートを持ってここまで来たのかわからなかった。頭は混乱していたが、ひとつだけ明晰な瞬間をつかまえて、客が帰るのを待っている店主にこう伝えた。「ごめんなさい。あとひとつだけ。この店についての記憶も、なくしてほしいんですが」

 

 店主によると、この店で初めて注文をする人は、ふたつに分かれるのだという。この店のことも忘れてしまう覚悟で来る人と、機会があれば何度でもここを使おうと思っている人。写真を受け取ったあと、店主が親切に呼んでくれたタクシーに乗って帰った。

 

 写真は簡単には開かない箱に入れてしばらく保管していたが、何度目かの引越しのときに「もういいだろう」と思い、見返すことなく捨ててしまった。