とりあえず、どんなことにも「好き」と言ってみて、本当に好きかどうかはそのあとで考える、といったところのある僕には、じつは本当に好きなものはわずかしかない。
北海道コンサドーレ札幌、デシグアル、鮭茶漬け、旅行、恋愛、バッティングセンター、タロット占い、Twitter、パン作り、大食い、自殺……、などがその例であるが、そのような「本当に好きなこと」のうちのひとつに「人の家に泊まること」というのがある。
好きなだけではなく、結構いろいろなひとの家に実際に泊まってきたなあと思う。それぞれの家にはそれぞれの雰囲気や良さがあって、だれの(どの時期の)家がどんな感じだったか、いまもぱっと思い出すことができる。
僕自身は、(泊めたい気持ちは大いにあるのだけど)人を自分の一存で泊められるような契約形態の家に住んでいたことがほとんどないので、人を泊めた経験がほとんどなく、宿泊に関しては大幅な貿易黒字を計上してしまっている。奨学金とおなじで、これからの人生でとんとんに戻さないと死ぬに死にきれないですね。
友達と一緒に、ふつうに遊ぶよりもはるかに長い時間いれるのがうれしい、というのがシンプルなひとつの理由。もうひとつかふたつ、ちょっと言葉にするのが難しい理由もある。
友人とただ居たいのではなく、友人がふだん素の時間を過ごす場所に、ちょっと客としてお邪魔してみたいという気持ちもあるのである。中立地である居酒屋とか学校で会うのもいいのだけれど、そうではない、こちらにとってはアウェー、向こうにとってはホームの場所で会うと、独特の緊張感と気安さが同時に流れて、それがとても良い。
結局成り行きで学校を休んで成田にもう一泊することになって、市役所に出勤していく友達を見送って、そいつが帰ってくるまでは一切することがなく、ぼーっと本を読んだり置いてあった食器を洗ったり寝たりしてるんだけど、こういう一日まじでグッと来ちゃうんだよな。永遠に暮らせる。夜は映画を見る。
— soudai (@kageboushi99m2) 2017年6月9日
もうひとつの理由は、二泊か三泊かしたときに際立ってくる。ひとの家のなかにいると、なんというか、自分が一時的な存在、借り物の存在になったような気がして、自分がしなきゃいけないことや自分にまとわりついているようなことにたいしてフラットな視点に立てるような気がするんですよね。自分の人生を抜け出したような気持になって、非常に気が楽になる。
時間がとても密度が濃く感じられるし、その時間にたいして、とても自分の効力が及んでいるように感じられる。友達とか正直どうでもよくて、自分のなかで閉じているその高揚感がくせになってよく人のおうちに泊まりたがっているのかもしれない。
あと、食事とか、寝る時間とかが雰囲気で決まるのもいいですよね。それぞれの家のミニルールに「へえ」ってなって従うのも楽しい。どちらも自己効力感があがって気持ちいい。
いままで泊めてくださったかた、全員ありがとうございました。