中央より、ふつうーにー、辺境が好きーっ!~リシャルド・カプシチンスキ『帝国』~

 

ぼくと〈帝国〉との最初の出遇いは、ピンスクの橋を世界の南と結ぶ橋の上である。一九三九年九月末。どこを向いても戦争。

 

 

 歯が惜しいよ! ゲンナージイ・ニコラエヴィチは、そう言って笑いながら、歯を見せる。一部が金歯、一部が銀歯。この国では、歯の色は大事だ、社会階層(ヒエラルキー)を示すからである。上流に行くほど、金歯が増える。それより身分が低いと、銀歯になる。(…)スターリンの入れ歯はどうだったのか――そう訊きたくて、僕はうずうずする。だが、答えは分かっている――スターリンは決して笑わなかった、と。

ニコの絵には黒が圧倒的に多い、棺桶作りの職人から塗料を分けてもらうので、手元の色ではいつも黒がたっぷりあったせいだ。

 大酷寒というのは――彼女が説明してくれる――大気中に明るくて、きらきらする霧が出るので、分かる。人が通ると、その霧にトンネルができる。トンネルは歩いてゆく人の形でね。通り過ぎたあとも、トンネルはそのまま動かず霧に残るの。(…)朝、学校へ行く途中、そんな通路が何本もできてるから、友だちのだれが先に行ったか分かる。近所の人でも友だちでも、親しい人の通路がどんな形か、みんなは、ちゃんと知ってる。

 内容はこんな感じである。ジャンルとしてはルポルタージュ、紀行文学のようなもので、ただ、「旅」とは言えないような内容のものも含まれている*1ので制約はゆるい。作者であるリシャルト・カプシチンスキさんは肩書はジャーナリストとなっているが、かっちりとした意味というよりは、「文章創作の内容を取材によって得る」と言ったくらいの意味でジャーナリストだということなのでしょう。

 

 舞台は「帝国」ロシア*2の辺境、ザカフカースバルト三国中央アジア諸国や北極圏・シベリアであり、内容はそこで暮らした、あるいは犯罪者として収容所に送り込まれた人々の語りの記録である。手法は、シンプルに事実を、といったものではなく、作者の創意が盛り込まれたリッチなもので、読んでいてとても楽しい。

 

 だれもが知ってて当然、というような地域の話ではないので、知的好奇心も満たされるし、それぞれのエピソードも話としてとても面白い。

 内容はハードであり、想像力や思考を空間的・時間的に離れた場所へ巡らせないといけないため、簡単な読書にはならないだろう。ただ、短いエピソードの集積*3で書かれているので、読みにくくはない。枕元に置いて、1日寝る前に10ページくらい、とか、そういうふうに読むと素晴らしい体験になるのではないでしょうか。

 

*1:たとえば、最初の章は作者の幼少期の実体験、ソビエト連邦支配下に置かれたベラルーシの村の様子を改装して描いている。

*2:帝政期ロシアという意味ではなく、さまざまな民族を中央集権の政府が支配する大国、であるという意味で「帝国」という言葉が使われている。

*3:訳者あとがきでは「文学的コラージュ」と表現されていた。