I am the Captain of the Pinafore

 

 僕はこの曲が好きなわけではないと思う。実際、契約しているサブスクライビングサービスでライブラリに追加しているわけじゃないし、YouTubeのお気に入りリストに入っているわけでもない。そもそも、この曲を聞くことはほとんどない。いまたまたま聞き返したけど、その前に聞いたのはおそらく一年半から二年ほど前だろうし、その前となるともうわからない。

 

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 ギルバート&サリヴァンという(劇作家)&(作曲家)のコンビによるミュージカル、「H.M.S. Pinafore」(軍艦ピナフォア、ピナフォアというのはエプロンみたいなもの)の作中で流れる曲、「My Gallant Crew / I am the Captain of the Pinafore」がそれ。曲の本体は「I am the Captain of the Pinafore」だが、この動画ではその前の「My Gallant Crew」という短いレチタティーヴォ(レテチタティーヴォというのは、ミュージカルにある歌と台詞の中間みたいな部分のこと)が付加されている。個人的にはこの「My gallant crew, good morning!」から始まるレチタティーヴォつきのバージョンのほうを好んで聞く。比較的好みだという意味で、もちろん、曲自体が好きというわけではない。

 

 ギルバート&サリヴァンというのは有名な、アーティスティックというよりはポピュラーな歌劇の作家で、アメリカの学校の文化祭的な出し物の定番らしく、この劇自体も英語圏ではひろく知られているものらしい。

 

 大学の講義ではじめてこの曲を知った。この「H.M.S. Pinafore」というミュージカルのビデオを見させられ、先生のうんちくを聞かされながら、台詞と歌詞をひたすら当てられながら和訳していくという、瞑想的に退屈な授業だった。しかも出席のノルマがあったので休むこともできなかったが退屈すぎて結局5回ぐらいは休んだ記憶がある。どうやって単位を得たのかはおぼえていないけれど、これは必修科目で、現在僕は大学を卒業しているのでどうにかしてなんとかなったということなのでしょう。

 

[CAPTAIN]
My gallant crew, good morning.

[ALL]
Sir, good morning!

[CAPTAIN]
I hope you’re all quite well.

[ALL]
Quite well; and you, sir?

 講義でこの場面になって、机に隠してスマートフォンをいじっていた手をすこし止めて、しばらく、解像度が悪く色彩も薄いスクリーン上の映像を眺めながら曲を聞いた。歌詞は船長と店員たちのたあいもないコミカルな掛け合いで、僕の人生にとっては、この講義に出席している時間とおなじくらい無意味なもののように思われた。

 

 曲の入りの能天気な弦楽器のフレーズにあわせて、セーラー帽をくるくる回して踊る船員と、それにおだてられてふわっとした表情をする船長さん。船員たちと船長さんのふたつのパートの受けと答え。

 

[CAPTAIN]

And I’m never, never sick at sea!

(そして私は、船酔いなどしたことがない!)

[ALL]
What, never?

(なんと! 一度も!?)

[CAPTAIN]
No, never!

(そう、一度も!)

[ALL]
What, never?

(なんと! 一度も!?)

[CAPTAIN]
Hardly ever!
(…めったにない!)

[ALL]
He’s hardly ever sick at sea!

(船長はめったに船酔いなどしない!)

  本当にしょうもない。……そのあと最初の能天気なメロディーに合わせて、

 

[ALL]

Then give three cheers, and one cheer more,
For the hardy Captain of the Pinafore!

 という歌が入るんだけど、ここが好きだった。曲のなかでは比較的好みだという意味で、もちろん、曲自体が好きというわけではない。家に帰ってYouTubeで音源を見つけて、あわせて歌ってみようと思うんだけど全く真似できない。日本語風の母音の多い発音しかできない僕には再現が難しかった。跳ね跳ねのメロディーに小気味よい短音節の語が並ぶこのメロディーの歯切れのよい美しさ。そのあとに繰りかえすオーケストラ。……最高!!

 

 退屈な授業の退屈な教材ということで、こんな曲は好きでもなんでもないんだけど、1年周期ぐらいでふと思い出して、そのときはかならず聞きたくなって聞いてしまう。

 

 曲に限らず、僕の好きななにものかは、おなじ魂をもってもういちど生まれ直しても絶対にこれにたどり着いていただろう、みたいな確信感があることが多いんだけど、これはまったくそうではない。きっとこの人生で偶然出会っていなければ出会えていなかったし好きでもなんでもなく通り過ぎていただろう。

 

 授業にあまり熱心ではなかったので、このミュージカルがどんな筋書きでどんな風に終わるのかは全くわからないまま。いつか台本と突きあわせて全部見てみたいし見ると思うけど、いまのところまだその潮流はきていない。