もう子供を食べたくない~「パーティーで女の子に話しかけるには」~

 

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 「パーティーで女の子に話しかけるには」という映画を見た。僕は「良い音楽がたくさんかかる毒にも薬にもならないパーティー・ボーイ・ミーツ・ガール・スイート映画」が大好きで、これまでにもさまざまなジャンルの音楽とボーイミーツガールを融合させた映画を見てきた*1のだけど、そういえばパンクはまだだったなと思って見てみることにした。

 このAmazonに書かれているあらすじは大嘘で、実際に見てみると「これ何?」となったんだけど、悪い意味の「何?」ではなく、驚かされ笑わせられながらもとてもとても面白かった。映画を見て「何?」という気分になりつつ「いいものを見たなあ~」という気分になりたいかたにはぜひおすすめです。ちなみに、パンクファンにはそこまでおすすめはしません。

 

 つぎの埋め込み動画のあと、内容に触れた感想になるので、あまり事前情報を入れたくないひとはこのへんにしておいてください。

 

 

第4コロニーのマニフェスト ――個性の尊重!

 

 僕らがふだん慣れ親しんでいるものとは違う、だけどもその内側では一貫した理屈があってそれに従って動いているんだろうな、というものを感じさせるものをカルトと呼ぶとしたら、これはボーイ・ミーツ・ガールに擬態したカルト映画*2である。

 

 キスしようとしたらゲロを吐かれる場面を皮切りに、身体的な描写が、ふつうにはプラトニックに描かれがちなボーイ・ミーツ・ガールの表面に感染していく。背景設定はかなり寓意的だけど、描写のいちいちがギャグ寄りになっているためか、鼻につく感じはしなかった。登場人物のそれぞれも魅力的に、明確な嫌われ者がいないように描かれていて、人間(宇宙人)に対する情の深さを感じる。

 

 ここからは個別で好きなシーンの話。

 

 下水管に生えているトマトの挿画はなんかとても美しかったんだけど、全体の流れからはちょっと浮いていて不思議。どうしても入れたいなにかがあったのかな。主人公ふたりが突然歌わされた曲の2番で突然KlaxonsのMVみたいなサイケデリックコスモトリップムービーが流れたのは爆笑だった。そして、終盤の見せ所、宇宙人vsパンクはエンタメとしてとても良かった。

 

 ちょっと目を離していても話が追えて、視覚的なインパクトがあって、笑いどころや盛り上げどころがたくさんあり、最後はきれいに終わる。ひとりでしっぽりと観てももちろん良いと思うけど、お泊りパーティーでだらだらながすBGM(バックグラウンドムービー)としてもとてもぴったりなのではないでしょうか。面白かった!

*1:たとえば、ポップミュージックだとこれ

*2:とはいってもカジュアルなカルトではある。

石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』

 

 石井僚一さんというかたの歌集、『死ぬほど好きだから死なねーよ』を読んだ。第57回短歌研究新人賞を受賞した作家で、現在は歌人としての活動をやめてしまっているらしい。

 

歌集 死ぬほど好きだから死なねーよ

歌集 死ぬほど好きだから死なねーよ

 

 大きめのポイントのゴシック体が圧をもってプリントされた表紙でなんとなく内容のテンションの想像がつく。このゴシック体は作中の各章の題字にも使われていて、それもまた文字が大きい。それが一冊の本としての盛り上げや雰囲気作りになっていて、本がテキストを伝達する媒体以上のものになっている。

 

 作者の石井僚一さんはあとがきで「短歌よりも人のほうが好き」「歌集が面白かったと褒められることよりも、この歌集を読んでひとりの人間がなにか変わってくれたらそののほうがうれしい」といった趣旨のことを書いていた。この本においても、作者の全体的な生きかたにおいても、テクストはあくまで、その背景にある人間の生の副産物であり、また、副産物からその起源のものを見る、というような形で読まれるべく、それぞれの作品が作られているのかな、と思った。

 

 以下は個人的にとてもとても好きな歌をいくつか。

 

鞄の中の六法全書で変質者を殴打しこの街一番の頑張り屋さんのスカートふわり

 短歌と言い張らないと短歌としては受け止められない種類の短歌である。「六法全書」とか「この街一番の」などといった、ディテールを指定する語句でテキストが長くなっている。

 テクスト作品を作るときにはこういう、あってもなくてもよいディテールは厳しくカットするのが通例だけど、それがなんか作者の自分勝手のように思えることがありますよね。必要でないディテールも存在していいし、そっちのほうがひとりの人間としては楽しかったりもする。

 

アリス 穴に落ちて辿り着いたAmazonの倉庫で朝から働くアリス

 共通理解が得られるファンタジーなお話と、現代社会のちょっとしたくらい側面をつなぎ合わせて、不思議さと批評性を生み出している内容面は面白いけれど、やや奔放というか、それでいいならほかのなんでもいいじゃん、というような印象を与える。

 形式面においては「アリス」~「穴」~「Amazon」~「朝」~「アリス」と「ア」のアリタレーション、そして不完全ながらも「サ行」音のライムを構造として持っている。

 ゆるいけれど魅力的な内容面のイメージを、かっちりとした形式で〆ていて、こういう作品はほんとうに強い。

 

壁一枚へだてて響くおしっこの音にあなたの木漏れ日がある

 狭い部屋でトイレを貸すときに感じる気まずさを、あっけらかんと逆の表現をしてしまうのがいいですね。あまり直視したくないものをきれいなもので喩えた比喩、ふだんは気持ち悪く受け止めてしまいがちなんだけど、これは(気持ちよくはないが)判断保留みたいな気持ちになった。

 「木漏れ日」の持っている、降りかかってくるものだったり、粒状のテクスチャだったり、黄色い色みたいなものが見事に当てはまっているのが原因なんでしょうか。もう木漏れ日を素直な気持ちでありがたがれなくなってしまうんですが。木漏れ日が嫌いになるまである。やば、この歌集を読んで、人生が変わってしまいました。

AリーグからZリーグまでぜんぶある説

 

 最近、バスケのBリーグの試合を見ていてふと思ったのだけど、たとえばバスケットボールのBリーグ、卓球のTリーグなどにたいして、JapanのJをとってしまったJリーグってちょっとずるいようなきがする。

 そう思っていると、もうひとつべつのことを思った。Jという珍しいアルファベットをすでに使ってしまっていることもあることだし、じつは日本、AリーグからZリーグまで、すでにぜんぶそろっているのではないか。

 

 すこしフェルミ推定をしてみよう。世のなかにあるスポーツの総数は、競技人口が1桁のマイナーなものまですべて含めると、およそ1787万個あるという。ひとつの競技のリーグ組織を運営するのに必要な人員は、JリーグBリーグの公式サイトのデータから推計すると、およそ500人ほど。また、日本のスポーツ人口は、文部科学省の2017年度の統計によると、325万人となっている。これをアルファベットの総数25個でわると、

 

 1787万÷(325万÷500)÷25= 7.817(競技/アルファベット)

 

 となり、アルファベットひとつ当たり約7個のリーグ組織があることになる。やはりAからZまでぜんぶそろっているのは間違いないと思う。

 

 せっかくなので、A~Zの計26個のリーグが、具体的にどのようなスポーツのリーグなのかを予想して、当たっているかどうか答え合わせがしてみたい。バレーボールのVリーグだったり卓球のTリーグだったり、フットサルのFリーグだったり、知っているリーグも多いので、最終的には26のリーグのうち、15くらいは正解できるのではないか。

 

 以下が僕の予想の一覧である。

 

A:アメリカンフットボール
B:バスケットボール
C:サイクルサッカー*1
D:デスボール*2
E:E-sports
F:フットサル
G:ゲートボール
H:ホッケー
I:アイスホッケー
J:サッカー
K:カバディ
L:ラクロス
M:麻雀
N:ナイトメアボール*3
O:アウトレイジボール*4
P:ポートボール
Q:九州でやっているなんらかのなにか
R:ラドバル*5
S:水球
T:卓球
U:アンダーグラウンドボール*6
V:バレーボール
W:車いすバスケ
X:なんらかのエクストリームスポーツ
Y:ない
Z:ない

 

 本当は検証編もやろうと思ったのですが、見てわかるとおり、する意味はないでしょう。

*1:室内で自転車に乗ってやるサッカー。こちらの記事で詳しく紹介している。

*2:6人制の球技で、ボールのほかにナイフを使用する。アマチュアの試合は屋外でも行われるが、正式には牢獄でプレーする。

*3:8人制の球技で、ボールのほかに大鎌を使用する。

*4:ボールではなく拳銃を使用する

*5:室内で自転車に乗ってやるサッカー。こちらの記事で詳しく紹介している。

*6:いまも我々の真下で行われている。


遊具で遊ぶ子供たち
その輪の外に謎がいた

謎は自分を解くことができなかったから
ぜひとも自分を、子供たちに解いてほしかった
謎はおおきな声で呼びかけた
ねえ君たち、僕のとこに来て
僕を解いてみてよ

謎なんて自信過剰なものに
子供たちは興味がない
相手にされなかった謎は
すねてどこかへ行ってしまった


駅を行きかう大人たち
流れの外に謎がいた

謎は自分を解くことができなかったから
ぜひとも自分を、大人たちに解いてほしかった
謎はかわいげのある声で呼びかけた
さあ皆さん、僕のとこに来て
僕を解いてみてよ

謎なんて面倒くさいものに
大人たちは興味がない
相手にされなかった謎は
自信を無くして動揺した


謎は
路頭に迷い

長い雨に打たれて
屈辱の熱が冷え
残ったのは怒り

謎はあなたに語りかける

「あなたが無責任に
いらない謎をかけたから
僕はこんなに
みじめに生きている

いっそ答えを知っているあなたの手で
僕を解いて終わらせてくれ」

謎なんてつまらないものに
あなたは興味がない
あなたは真の芸術家で
自分の手のなかで生み出そうとしている
さらなる謎のことしか考えられないのだ


相手にされなかった謎は
あなたに背を向けて
遠くへ行ってしまった
戻ってくることはないだろう

どうもボルコンが強い

 

 いつもどおり家でお酒を飲んでもうろうとしていたら、弟から電話が来た。「いまからデュエマやらん?」

 

 デュエル・マスターズソーシャルゲームができたらしい。そういえば幼少期は弟と永遠にデュエルしていた。僕と弟はカードを融通しあっていて、伝統的にドラゴンや悪魔は弟、精霊や水文明のドローカードは僕が優先的に使っていた。「ドルバロム、バジュラ、「ふたつ牙」、ヘブンズ・ゲート、サイバー・ブレイン……、」そのころの思い出がもうろうとした頭に蘇ってきて、弟に言われるままアプリをインストールした。

 

 しかしこのゲーム、なかなかカード間の強さに差があって、デフォルトのデッキではまあ勝てない。弟にしたたか連敗しながら、敗北をつまみにお酒を飲んだ。しばらく経って、同期ともデュエプレをやったがそのときもまったく勝てなかった。

 

 まあべつに、勝つためにデュエルをしているのではなく、「懐かしいね」って話のタネになればそれで十分良かった。

 

 ですが、一回も勝てなかったことがだんだん、この世界のありかたとして正しくないような気も徐々にしてきて、とりあえず集中的にゲームを進めた。ある程度カードを手に入れて、とりあえず手持ちの駒のなかでなんとか戦えそうな僕なりのデッキを作ることに成功した。

 

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 これがその布陣である*1。手札とマナゾーンのリソースを確保して、相手クリーチャーを手札に戻したり、小型クリーチャーを並べたり、進化クリーチャーを重ね出ししたり…、などといった行動をその潤沢なリソースを使って行い、その一瞬のテンポアドバンテージを得た瞬間に攻撃しきって勝つように設計されている。

 

 レアなカードはほぼなく、2時間くらいプレイしたら揃えることができた。これで、無邪気な発想で作られたカードデッキ相手であればだいたい勝つことができる。とくに攻め合いになる相手(中速のビートダウン)との相性はよく、相手の攻撃をしのいだあとに、相手の計算を外して、手数で逆転して勝てることが多い。

 

 問題なのは、デュエルマスターズを勉強しているひとたちが使ってくるデッキで、とくにボルメテウス・コントロール、通称ボルコンとよばれている型にはまったく勝てない。

 

光臨の精霊ピカリエカード画像

 とくにこの、「光輪の精霊 ピカリエ」に本当に困っている。僕のデッキにはパワー4000を超えるアタッカーがすくなく、バウンス(相手のクリーチャーを手札に戻すこと)で一時的に除去しようにも、このカードは「場に出たとき」効果を持っているので、時間稼ぎのあとはさらにこちらが不利になってしまう。

 

 これを4ターン目に置かれるだけで、こちらは持久戦覚悟となるが、そもそもコントロールデッキと持久戦する時点でこちらはとても分が悪い。しかも、このカードは手札損なしで召喚できるので、とくに優先順位の高いほかの行動がなければ、このカードをプレイしておいて損はない*2。本当に安定しているので、多くのデッキに4枚入っている。相手の一番安牌でとりやすい選択肢がこちらの急所に刺さるバトルなんてやってられないよ。

 

 ……弱音を吐いていてもしょうがない。頭のなかにいくつか案はある。水文明と自然文明でできることには限界があるので、火文明のカードを10枚くらい付加した3色ビートダウンにすればなんとかなるのではないか。(持ってないけど)「火炎流星弾」「ボルカニック・アロー」といった軽い除去呪文はこのデッキの根本設計に合うだろうし、フィニッシャーとしてツインキャノン・ワイバーン(持ってない)を採用できる。

 火を加えない場合は、コントロールデッキの除去能力を超えたリソースをたたき出すしかない。「ミラージュ・マーメイド」(持ってない)や「トリプル・ブレイン」(持ってない)、「大勇者『ふたつ牙』」(持ってない)をプレイしまくれば勝算はあるかもしれない。

 

 弟や友人に完敗するたびにカードを入れ替えて、勝ったと思ったら、すぐまた彼らが入れ替えたカードにやられて、それを繰り返して毎日が過ぎていったころのことを、いま思い出している。

*1:デッキ名「ドラゴン」とあるのは大嘘で、デッキ名は対戦相手には表示されない仕様のようなので嘘つく意味はひとつもないということがのちにわかったが、だからといって変えるのも嘘つきみたいでいやなのでそのままにしている。

*2:出したあとは進化元としても使える

夢をかなえてYouTube

 

 僕はJリーグYouTubeがとてもとても大好きなのだが、そんなYouTubeに夢のような動画が上がっていたので泣きながら見てしまった。

 

 那須大亮選手、柏木陽介選手、田中隼磨選手、大久保嘉人選手、酒井高徳選手、鈴木大介選手、ルーカス・ポドルスキ選手、そしてカジサックやウマヅラビデオ、東海オンエアのりょうさんなどが出ている。サッカーだったり動画だったり、自分がいつもコンテンツを楽しんでいる方々があつまって企画をやるのを見ているのは本当に幸せですね。

 

 以下は良かったところを列挙するメモです。2020年というのにちなんで、2020個列挙しようと思います。

 

1.1点目の田中隼磨、素人にやるボール奪取じゃない。

2.終始ノリノリのポドルスキ。世界的名プレイヤーなので、真剣にやろうとすればするほどファンサービスの労力果てしないはずなのに、こういうふうにやってくれるの、天然なのか意志の力なのかはわかりませんが、どちらにしても本当にため息が出るくらいすごい。

3.フットサルだとある程度強く蹴らないと入らないのでしかたないんですけど、にしてもポドルスキの2点目シュート強い。これはキーパーは怖い。

4.那須選手が「ルーカス!」って呼んでポドルスキの意向をうかがうシーンと、そのあと通訳している酒井選手。

5.「太っ腹」のドイツ語は分からない。

6.「チャンネル閉じてもいいですよ」

7.「すぐジャンクスポーツから話来ますよ」カジサックのこういうところ本当にずるい。このドメスティックバラエティな感覚をうまいことYouTubeに乗せていて、最初鼻につきそうにも思えるんだけど、ぎりぎりでそうじゃない。

8.「車が欲しい」

9.レッズファンがYouTubeで有名になって企画に参加して柏木選手とPKして私物をもらえるって何? りょうがドログバと会う動画のときも思ったけど、ひとが自分の力とめぐりあわせと幸運によってめったにないうれしい瞬間に立ち会うのを見ると泣いてしまう。

10.ニット帽を投げつけてキッカーをじゃまする、という小細工を弄する(わりに動画ではそれにはとくに触れられない)柏木選手。

11.柏木選手らしい変なはにかみかたをしながら服を脱ぐ柏木選手。

12.シンプルにコースもスピードも甘い酒井選手と、ちゃんと体重を移動させてうまくはじくMAKIHIKAさん。ふつうに上手い。

13.足がいいにおいする酒井選手。

14.那須選手おつかれさまでした。でもひょっとしたら天皇杯決勝で蹴るかもよ…?

 

棺がなければ葬式はできない

 


 私が幸せだったのは母親が死ぬまでのあいだだった。母が私たち二人の部屋のロフトベッドで息を引き取ったとき、私は家の壁飾りを磨いていた。家の持ち主は大金持ちで、壁飾り以外にもたくさんの装飾品を家に取り揃えていて、私の昼の仕事は、それらの品々を油を含ませた布でこすって磨くことだった。およそ三か月でひととおり磨き終わるのだけど、そのころになると最初にてがけた品々はまた薄汚れてきているのだった。

 

 昼の仕事と夜の仕事のあいだには1時間の休憩がある。昼の仕事があって休憩、そのあと夜の仕事で、それが終わったら休憩、そしてすぐに昼の仕事。一日に与えられる休憩はそれだけだったけど、それでもなんとかやっていけた。昼の仕事は手先を使う代わりに、頭はずっと休んでいられる。ぎゃくに夜の仕事は頭をたくさん使うけれど、身体的な負担はなかった。

 

 休憩は、太陽が水平線をまたぐちょうどその前後の1時間。一日のうちで最も美しい1時間にぴったりとあたっている。私はいつも、休憩のあいだじゅうずっと、家の窓から空を眺めて過ごしていた。しかし、母が死んだ日だけはべつで、私は私たち二人の部屋にもどらなければならなかった。しかし死者をどうすればよいのか、昼の仕事と夜の仕事以外のことはなにも経験したことがない私にはまったくわからなかった。つぎが夜の仕事で良かったと思った。太陽が水平線をまたいで、そのあとしばらくすると休憩の1時間が終わる。夜の仕事は家の持ち主のすぐそばで行われる。仕事が始まった直後、私は家の持ち主に母が死んだことを伝えた。

 

 「人が死んだのであれば、葬式をしなければならない」「葬式をするには棺が必要だ」「しかしこの家に空いている棺はなく、お前とお前の母親の持ち物にも棺はない」家の持ち主はそういった。しかし、私はどうすればいいのかわからなかった。

 

 「人が死んだとき葬式をするのは、しなければならないことだ。しかし、棺がなければ葬式はできない。あきらめて放っておくしかないね」家の持ち主ははそう言って、夜の仕事を始めた。私もそのそばで、夜の仕事を始めた。

 

 母はロフトベッドに横たわったままだった。なにも言わず、なにも答えなかった。その日から、休憩の一時間は空の光の美しい時間ではなく、母の死を見つめる時間になった。胸がつぶれそうになり、自然と涙がこぼれてきた。私のなかで決意が形をとって現れてきた。棺があれば葬式ができる。家の持ち主にはなにも告げず、私は家を抜け出した。ほんとうなら昼の仕事に行かなければいけない時間だった。

 

 夜の仕事に行かなければいけない時間まで街道を歩くと、ようやく町に行き当たった。通りすがりの人に事情を話すと、町の反対側にあるという棺職人の木工所を紹介してくれた。

「棺が欲しいのですが」

 棺職人は私にいくつかの質問をし、それをもとに見積書を作った。差し出された見積書を受け取るまでもなく、私はほんとうのことを言う。

「支払いはできません。……支払うお金がないんです」

 私は母が死んだことを伝えた。葬式をするにはどうしても棺がいるのだということを訴えた。棺職人は冷たく言い放った。「支払いができないのなら、棺を渡すことはできないよ」

 

 私はなにも考えられず、通りへと戻りかけた。そのとき、職人が大きな声で私を呼び戻した。「支払うお金がないが棺が欲しい、そうであれば、自分で棺を作ればいい」職人は私の肩をつかんで作業棚の工具箱のまえに連れてきた。「道具はここにある。どうすれば、これで棺が作れると思う?」

 

 私の生活は元に戻った。朝の美しい1時間を屋根裏部屋で眺めたあと、私は工房で棺職人のそばに立ち、彼の命令に従って様々な細かなものを出し入れする。出来上がった棺を台車に乗せて運ぶ。木くずをまとめて麻の袋に入れる。前の家での仕事とは違って食事はもらえなかったので、私はその木くずを食べて命をつないだ。木くずはそのままだと柔らかく、天日に干して乾燥させるとカリッとした食感になった。

 

 夕方の美しい1時間のあと、私はまた無人の工房へとおりる。棚からさまざまな大きさ、形をした工具を取りだし、それで木を彫っていく。昼間の職人の仕事を思い出しながら、どこをどう工作すれば母にふさわしい棺になるのかを考えながら掘り続けている。そうしていると朝の休憩の時間がやってくる。これをずっと繰り返した。ひさびさに、一日のなかに休憩の時間が現れたことがうれしかった。母を見つめて涙を流さずに済む休憩の時間が。

 

 昼は職人が棺を作るのを間近で注視し、夜はそれを自分で真似した。はじめての棺が出来上がったときは真夜中だった。職人が寝室から現れて、大きなくさびを金づちで棺の天板に打ち込み、それを壊してしまった。「誰だって最初はこんな出来損ないを作るさ。もう一回やり直してみな」そのあとも、昼は注視し、夜は作った。合間には空を眺め、木くずを食べた。

 

 あるとき職人は病気になり、動けなくなった。いちどは治って棺に鉋をかけたものの、元気だったのはその一日だけだった。昼、私は椅子に座る職人から指示を受け、指示通りに棺づくりを引き継いだ。私は大きな失敗をして、職人は目の前の棺にくさびを打ち込んで壊すようにと私に告げた。私はそれに従った。二度目は売り物になるものを完成させることができた。夜は相変わらず、母のための棺を作っていた。なんど完成してもその姿に納得がいかず、作っては壊しを繰り返した。

 

 職人の病気は進み、あるとき完全に動けなくなった。それから息を引き取るまではすぐのことだった。葬儀人がやってきて、葬式の段取りを整え始めた。親戚やお得意様が集まって、さて葬儀をはじめようとしたところで、誰かが言った。「で、棺はどこにあるんだ? こいつを埋めるには棺がいるぞ」

 

 棺職人は自分が死ぬための棺を用意していなかった。注文で手がいっぱいで、自分のためにかけられる時間はなかったのだった。騒ぎになった。これは笑い話だ、と、盛り上げるのが上手なひとが大声をだして手を叩いた。

 

 私は工房の奥に隠していた、母のために作った棺を取りだした。完成したばっかりの棺だった。なにかが足りないような気はしたけれど、自分の手で壊す積極的な理由は見つからないくらいにはうまくできた棺だった。

 

 職人は私の作った棺に詰め込まれ、葬列はさわがしさを連れて工房からいなくなってしまった。私はめまいがして、職人がいつも座っていた椅子に座り込んだ。ちょうど朝だった。私が空を見つめていると、若い夫婦がやってきて私に尋ねた。「棺が欲しいのですが……」

 

 棺がなければ葬式はできない。喪失感はあったけれど、職人を送り出したことへの安堵もあった。ならば、これでよかったのだろう。私は注文を受けて、新しい棺を作り始めた。夕方の休憩が終わったあと、私は迷いに包まれた。夜のあいだ私はどうするべきだろう。注文の棺を作る続きをするのか、母のために新しい棺にとりかかるのか。

 

 どちらをするか決めて、作業に取り掛かったあとも、迷いはずっと私につきまとい続けた。これは一生振り払えない種類の迷いだったということに気づくのは、棺を作り続け何十年という時間が過ぎるころだった。