宝探しゲームの顛末


 新しくなった家で、私と弟の優麻は「ネガティブな遊び」をするようになった。新しくなった家というのは、母がその前の年に母のさらに母から相続して、前の家の名残をほとんど残さないようなリフォームをして作った家のことだった。私はその年9歳で、優麻は6歳だった。優麻は私の弟である以上に、私にとって最も多くの時間を共に過ごす友達だった。3年というのは絶妙な年齢差で、もし優麻がひとつ早く生まれていたとしても、またひとつ遅く生まれていたとしても同じような友達関係にはなれなかっただろう。とはいっても私と優麻が友達だったのはそのたった9か月に満たないくらいの間だけだった。つまり私が8歳から9歳になり、弟をひとりの異なる人間として扱うことに気づいたあと、そして優麻が5歳から6歳になり、その対等な扱いに値するくらいに考え方や身体能力のレベルが成長したその瞬間から、私が9歳から10歳に上がるまでの間だ。10歳になってしまえば私は第二次性徴を迎えるのだし、優麻も7歳になれば小学校にも慣れ、背負ったランドセルの色に似あう彼なりの男の子としての人生を歩みはじめただろうから。

 「ネガティブな遊び」というのは私たちがつくった言葉であり、遊びだった。「後ろ向きの遊び」「反対の遊び」「ふしあわせな遊び」といった言い方もした。あるいはさっとアイコンタクトを交わしたあと「あれをしよう」「あれをやろう」と曖昧な指示語で指すときも多かった。そして両親は私たちのその遊びを「宝探し遊び」だと理解していた。

 遊びのルールはかんたんだった。おたがいに、いま大切にしているものをひとつずつ用意する。手で握り隠せるくらいの大きさのものでないと成り立たないので、それは一番の友達と遊びに行ったときに交換して買ったイミテーションの指輪だったり、前の誕生日からずっと強化に努めてきたキャラクターが中に入っているゲームソフトだったりした。私と優麻は大切なものを、しばらく相手に預ける。それから、新しい家のどこかにそれを隠す。どこに隠したのかは、相手に決してばれてはいけないし、教えてもいけない。二人とも隠し終わったら、その日はそれで遊びをおしまいにする。探すのは次の日からだった。一日空くことで、私たちと自分の大切なもののきずなはすこし弱まり、探し出すのはとても大変になるのだと私も優麻も信じていた。家の外に隠すのは、重大なルール違反だった。

 この遊びをするのにあたって、新しくなったばっかりの家というのはこの上ない舞台だった。まだ引っ越したばっかりで、物も少なく、壁や床に顔を近づけると、新しいものだけが放つことができる特別な香りをかぐことができた。父も母も家を空けがちで、二人ともいないことさえあった。きっと新しい家であれば、私と優麻がふたりで留守番をしていても、危険なことが起きることはないと両親も信じていたのだろう。私たちも、両親について行って出かけることより、思いがけず与えられたこの新しい遊び場にずっととどまっていることを望んだ。目が覚めた瞬間に遊び場がそこにあり、夕方になっても未知の興奮は続いていた。新しいおもちゃであればすぐに飽きてしまうことを、子供ながらに私はもちろん、そして優麻もぎりぎり知ってはいたけれど、この新しい家は大きすぎて、何か月たっても新しいままだった。

 私と優麻はそんな新しい家で、どこかにあるはずの自分の大切なちいさな宝物を探した。隠すのはすぐに終わるけれど、探し出すのにはそれよりももっともっとたくさんの時間がかかった。私は新しい家の床や壁のあちらこちらにある、凹凸や内部空間、死角、襞をひとつずつ指でなぞり顔を突っ込み匂いを嗅ぎながら探した。優麻も同じようで、家の反対側から、興奮したような声がずっと響いていた。「ねえぜんぜん見つからないんだけど姉ちゃんまじでどこにかくしたの!?」視線は役に立たず、なくしものを見つけるためには手をたくさん使わないといけないと私も優麻も本能的に理解していた。一息つくときには、興奮を冷めさせないよう宝物について思いを巡らせた。それがどれだけ大事なものだったのか、思い出すたびに倍加する現状の失われた状態の不安定さが、この遊びのスリルを増していく。そして遊びの興奮は、ついに見つけたときに頂点を迎えた。私はちいさな魚の指人形を探し出すことができた。前に家族で水族館に行ったとき、死んだほうのおばあちゃんが買ってくれたものだった。おばあちゃんが死んでから、それは私にとっての思い出が刻まれた宝物になっていた。私はそれを指にはめて、それから、抱きしめるようにしてもう片方の手のすべての指を使ってそれを上から握りしめた。

 「ネガティブな遊び」は宝物を見つけ出したら終わり、見つけ出せなかった場合は時間がたって思いが薄れ、自然と探さなくなるまで続く。一度隠したものの場所を相手に教えることはルール違反だ。だから、見つけられなかった宝物はずっとその人にとって失われたままになる。そしてこのことがこの遊びを「ネガティブ」「後ろ向き」にしているものだと私も優麻も考えていた。見つけた宝物というのもだって、もともと自分の机や鞄、枕もとの物入れのなかに大切に保管されていたものであり、この遊びに供さなければ、無くなることなくずっとその場所にあり続けるであろうはずのものだった。みつけたところでそれが元に戻るだけだ。しかし見つけられなければ一方的に失われてしまうのだ。「遊び」をすることで、物事がその前より良くなることは決してない。あるのはなくなる可能性だけ、失われる可能性だけだった。それがこの遊びの変わったところであり、私と優麻の心をとらえて離さないものだった。家全体を使った秘密の共有だった。私と優麻はおたがいを誘って、何度も遊んだ。

 その日も優麻と「ネガティブな遊び」を始めたばっかりだった。両親はまた二人とも出かけていて、私と優麻だけが留守番だった。隠し場所を探して家の中を歩き回っているうちに私は玄関前を通った。ドアが開け放されていて、最初私は「優麻がルール違反を犯した」と思った。たしかに、何度も優麻と私はこの遊びを繰り返してきて、家の中にあるあらゆる隠し場所の候補を、だいたいすべて見つけ出してしまいつつあるような感じだった。これ以上、この家の中で遊びを続けるには、もっと創意工夫が必要になってくると私も優麻も言葉には出さないけど感じていた。だから、ついに私は優麻が家の外に飛び出して行ってしまったと思ったのだ。しかし、それが思い過ごしだということにはすぐに気づいた。家の中のどこか見えないところから、隠せる場所を探す優麻のたてる乱暴な音が聞こえてきたからだ。音はしばらく続いて、それからぱたりと止んだ。しばらくたっても、私はまだこれという隠し場所を見つけ切れておらず、一階をあきらめて家の奥の階段のほうに向かっていった。そのときに見知らぬ男とすれ違った。男は驚いた様子で私をじっと見たあと、私には何もせずそのまま玄関のほうへ進んでいった。私は二階に上がって遊びを続けた。優麻は二階のある部屋の押し入れの下の段の中に頭を突っ込んでいた。しばらくほかの部屋で隠し場所を探して、戻ってきたときにも優麻は同じうつぶせの体勢でその中を探していた。優麻はズボンはつけていたが、上半身は裸だった。私は両親が帰ってくるまで、家の中のほかの部屋をずっと行き来し、隠し場所探しをつづけた。

 

 その日優麻に渡した私の宝物は、まだ家のどこかにあるはずだ。あの男が持ち去っていなければの話だが、警察からそんな話は聞いたことがなかった。それから年月が経ち、17歳になった私は、家に戻ってくるたびに頭のどこかでそのことを考える。遠方の高校を選んで進学した私にとってこの家は、年末と夏休みに数日帰ってくるだけの場所になっていた。優麻ももはやこの家にはおらず、まだ永遠に6歳のままだ。私はまだ成人までは1年あったが、精神も身体も完全にもう大人になり切ったと感じていた。

 私はたまにキッチンで料理を作ったりなどしてこの家での時間を過ごす。過ごしているうちに、ここなら宝物を隠せそうだと思う場所を家の中に見つける。這ったり飛びついたりする必要がない場所であれば、そっと手を伸ばしたりもする。もちろん見つからないのだが、まだ、探す意欲を失っていないことに自分で満足する。もうあの時の宝物が、どんな小さなものだったのか、どんな形をしたものだったのか、もうなにひとつ具体的なことは覚えていないのだが。

 たぶん燃え残った根元だろうと思うが、私はその固い感触を、ついに見つけた私の探し物かもしれないとも思いながら感じつつ、煙のたなびく線香を灰の中に突き刺した。そして、仏壇の前で手を合わせた。