自分のブログを自分で読み返して好きなところ

 

 最近、オーケストラのある音楽を聴くのにはまっており、それ以外のすべての物事(仕事、食事、読書、ゲームなど)にはまっていない。

 

 まずこの、ギターを首に引っ掛けて並んでトークするという立てつけが、意外と類を見なくていいですよね。もちろんギターは飾りではなく、それを首にかけているひとも並大抵のプレイヤーではない。

 

「い」で始まるごはんに一番合うおかずは? ――イノシン酸

 

 曲に限らず、僕の好きななにものかは、おなじ魂をもってもういちど生まれ直しても絶対にこれにたどり着いていただろう、みたいな確信感があることが多いんだけど、これはまったくそうではない。きっとこの人生で偶然出会っていなければ出会えていなかったし好きでもなんでもなく通り過ぎていただろう。

 

9泊10日って僕ならアパホテルでも嫌だよ。

 

ここまで信頼に足りる言葉を令和のあいだにあと何回聞くことができるだろうか?

 

 そしたら、担当してくれていた理容師さんがとつぜん、「まじっすか? ……ちょっと待っててください」と言ってバックヤードに引っ込んでしまった。なんだろう…、と思って鏡ごしに見ていたら、奥からキンキンに冷えたテキーラとキンキンに冷えたショットグラスを持って戻ってきたのである。「うち、ドリンクフリーなんすよ」

 

 この島人ぬ宝には大ネタがあり、途中まではふつうに歌うんだけど、サビに差しかかる直前で「イーヤーサーサー!!!」とエイサー掛け声を絶叫し、そのあとはサビを無視してひたすら後ろの「スィッ! スイッ! スィッ! スイッ! スィッ! スイッ! スリサーサー!!! スィッ! スイッ! スィッ! スイッ! スィッ! スイッ! イーヤーサーサー!!!」という囃子文句を叫び続けるというもので、いまのところこれをやってすべったことがない。

 

新しくなにか好きなものを、3日に1回くらい見つけて息継ぎができている時期と、なにを見てもなにを聞いても(理性ではよいとわかっていても)体の反応として「好き!」とは思えなくなる時期がある。

 

僕は中学生のころにこのパズルにはまり、膨大な時間をつぎ込んだため、最終的には0~400くらいまでの数をたくさん作ることができた。(かわりに、友達はひとりもできなかった)おそらく、当時、県で最も4を計算した中学生だったと思う。

 

これはイタリアの文学者フランコモレッティさんが『遠読』で提唱した文学研究の画期的な新手法を漫才に応用したものと位置づけられるだろう。

 

 僕はけっこう自分で書いた文章を読みかえすほうで、どちらかというとそのために書いている、みたいなところはあるのだけど、やっぱり個人的にこれ良かったな~ってところを後から読み返すと幸せになりますね。これからも続けていこう。