日本の漫画文化というものはとても爛熟していて、「これが好きな人にだけ刺され」みたいな作品でも、どんなに「これ」が狭くてもぜんぜん見つかっちゃうのがすごいことですよね。
下待迎子さんの作品「学校のこども」を読みました。具体的にどういう「これ」なのかを語るために以下ちょっとネタバレ(作品の山場には触れない程度に)をしますが、見た感じ、漫画内での情報の出しかたに気を使っている作品でもある気がするので、一応ネタバレ注意とはしておきます。
舞台は全寮制の女子高。内部進学したお金持ちの「内部生」、外部から入試を突破してやってきたけど経済的には恵まれない「外部生」の間に上下関係があり、外部生は虐げられて学園生活を過ごしている。
そんな中外部生は、ある「秘密」を共有することでそんな辛い日々を耐え抜く糧としていた。それは、使われていない「旧女子寮」の建物で秘密裏に育てている男の子。外部生は一人一人が「母」となって彼と愛情をはぐくんでいたのですが、あるとき「秘密を暴くのが趣味」という他校の制服をまとった転校生が現れて、不安定な楽園のようだった日々が変わっていく…、というお話。
厳しい全寮制高校という舞台や、そこで愛でも罪でもある形で「人」を、悪い言い方をすれば「飼う」、いい言い方をすれば「養い育てる」というシチュエーション、そしてそれが崩壊していくという作品のトーン、その他もろもろ出てくる表現や小道具すべてが個人的な性癖に刺さっており*1、「ありがとうございました」と思いながら読んでいた。
ただ単に性癖に振り切った作品ではなく、起こっている出来事に対する解釈や、それを漫画の形にする際に使用するモチーフの選択、そしてそのモチーフを作品に組み上げる巧妙さなど、あらゆる側面で上手な、上手くいっている作品であり、その点でも高い点数を稼いでいると思います。
さらにそれに加えてテキストもうまいんですよね~。はっとするような表現がそこかしこにあって、この耽美なプロットを鑑賞する体験を最大限に高めている。
いくらでも好きなところをあげられるのですが、ひとつだけ言うとすると、「男の子」が学校の鐘をきくシーン。鐘には始まりと終わりがあるということはおそらく「母」たちに教えられて知っているんですけど、いま聞いている鐘が始まりを意味するのか終わりを意味するのか分からない、という場面があるんですけど、これは気づきだし、作品の流れに対してもいい比喩になっていて天才的な表現だと思いました。
とくにフェチに刺さらなくてもよくできた作品だと思うので全員におすすめですが、刺さる人は絶対に読んでくれよな…!
*1:倫理的に肯定するということではない。