諸事情あって、2023年はここまで、仕事以外の対人接触がほとんどない生活を過ごしている*1。もともと人付き合いのなかで非常にストレスを感じるタイプの人間なので、こういう生活は気が楽だな~と思っていたのだが、最近はいやどうも違うぞ、現実の問題は予想していた「人付き合い嫌い人間×人付き合い無し生活=幸福」という図式ほど単純ではないな…、と思いはじめてきた。
「人間は社会的動物」、……というよく言われる標語、これは嘘だろ、嘘だってことを俺がここで示してやるぜ。くらいの気持ちでいたのだが、いまは「一理あるのかな」という心持ちだ。なんというか、実際の人付き合いがほぼなくなっても、そのかわりに、「偽の社会的生活」というのがなんか頭のなかだけで生まれてしまうようなのである。
ここ最近すごい増えたのが、過去の自分が人付き合いの中でしてしまった失敗がすごいフラッシュバックしてくるということ。まだ引きずっているものから、清算してもう終わったと思っているものまで、全部がリアルな恥ずかしさや呵責の念とともに、切実に感じられるのである。
こういう古い記憶を思い出す優先順位というのはまったく高くなくて、ふつうに社交生活を続けていれば、脳は新しい人付き合いを処理するのに忙しいので顧みられることはないものなのだと思う。
ただ、なにも新しい人付き合いのインプットがないと、社会的生物の脳は自分の過去の記憶だけで社会をやってしまうのだ。そして、その過去がまだ生きている過去だと、過去犯した失敗のとおりに他人は自分を見ていると思わせてくる。
人間は社会をやめることはできない、……とまで言うと話は大きすぎるかも。でもすくなくとも、社会生活から逃げる方法として引きこもるのはそんなに効果的ではないのかもしれない。
実際の社会をやめてもそれより質の悪い*2、偽の社会を頭は作り出し、そこに意識や感情、考えを埋め込もうとしてくるのである。
とりあえず、問題は発見できたので、心がけレベルになるのですが、偽の社会にとらわれてブルーになりすぎないことや、過度に他人や社会にたいして露悪的だったり悲観的な態度にならないことを目指しましょう。
そのうえで、もっと建設的に。現実の社交から距離を置くことができるのだから、このような頭のなかだけの偽の社交からも、気の持ちようorなんらかのテクニックで距離を置けるんじゃないか、という試みは今後も試していきたい。
もう一度フィクションに没入してみるとか、自然と調和するとか、ペットを飼ってみるとか、やれることはいろいろあるのではないでしょうか。