「トマス・ピンチョン全小説」は読まなくてもいいのが良い。だってカバーが好きすぎる

 

 みなさんは読まなくても十分楽しめる全集があることをご存じでしょうか。2012年くらいにいったん完結して、その後2021年に、新たに出版された『ブリーディング・エッジ』を加えて完全になった「トマス・ピンチョン全小説」がそれである。

 

トマス・ピンチョン全小説| 全集・著作集 | 新潮社

 僕はやっぱりなんといってもこの全集のカバーアートが本当に好きなんですよね。ひとつひとつにけれん味と美意識、そして夢が詰まっていて、しかも全13作品異なったコンセプトで制作されていながら、なんとなく深いところで、シリーズとしての統一性を担保するような高い緊張感が維持されている感じがするのである。

 

トマス・ピンチョン、柴田元幸/訳 『メイスン&ディクスン(上)』 | 新潮社

 ひとつずつ見ていこう。まず好きなのは『メイスン&ディクスン 上巻』! タイル張りのような質感とにっこりする月のユーモアのバランスがいいですよね。原著は古い時代の英語で書かれていて、それを踏襲した日本語訳も古めかしい言葉で書かれている、……というのが特徴の小説なのだけど、そのポイントを軽妙に盛り込んだデザインになっていると思う。

 読んでもよく意味がわからないほど古めかしい言葉で書かれているので、中身を読む必要が特にない(=タイムパフォーマンスが高い)というのも推せるポイントである。

 

トマス・ピンチョン、小山太一/訳、佐藤良明/訳 『V.(上)』 | 新潮社

 次はこちら、『V.』の上巻! 「V」一文字というシンプルなタイトルの響きと、トマス・ピンチョンの作品のもつ「過剰な記述」という特徴を、同時にしかも意外な形で表現した傑作アートワークと言っていいのではないでしょうか。

 世界の謎を追っていくと一人の女が浮かび上がってくる、というストーリーの小説なのですが、それを表現した下巻の表紙とは続き物になっていて、そのコンビネーションも見事である。

 

トマス・ピンチョン、佐藤良明/訳 『ヴァインランド』 | 新潮社

 『ヴァインランド』もいいですよね。僕自身は別の全集で読んだのですが、そのときはもうすこしポップなイメージを持ったのだけど、そうではなくシックにしめてきたデザインだったので見てグッときました。この赤と青の差し色よ…。これはぜひともポスターぐらいのサイズで見てみたいですね。

 

トマス・ピンチョン、佐藤良明/訳 『重力の虹(下)』 | 新潮社

 『重力の虹 下巻』。この『重力の虹』というのはこの作家のいちばん有名な作品で、その分デザイン化するにあたってプレッシャーがあったと思われるのですが、それをさばききった、読むものに武者震いをさせるような重厚感がある表紙になったのではないでしょうか。

 「V2ロケット」というセンター確実のめっちゃメインモチーフが小説にあるのも、むずいですよね…。

 

 こんな仕事は人間にしかできないだろ、と思ってAIにもお願いしてみたら、これはこれでまあ無しではないな、という画像がちなみに出てきた。


トマス・ピンチョン、木原善彦/訳 『逆光(上)』 | 新潮社

トマス・ピンチョン、木原善彦/訳 『逆光(下)』 | 新潮社

 そして一番好きなのは、やっぱり『逆光』の表紙かもしれない。トマス・ピンチョンの小説の中でも一番長いこの作品に、シンプルな色使いながらキリっとした構図の、素晴らしい表紙がついていて、はじめて見たときにはとても目がうれしかったのをおぼえています。

 作品の重要モチーフである「飛行船」を、知っていればそうだとわかるし知らなければなにか異様な「何か」にみえるくらいの絶妙なラインで図にしている。上・下巻単体で見ても、そしてふたつ並べてみても楽しいデザイン。最高だと感じます。

 

 背表紙には作品タイトルを省略した記号があしらってあって、これもかわいくていいですよね。トマス・ピンチョンはけっこう文学的に研究対象となっている作家らしく、論文とかではこういうふうに略記号を使って出典表記することもあるんだろうな、その辺がこのデザインの背景なのかな、……みたいなことを勝手に想像している。

 どこを見ても美しいだけではなく、しっかりと理由がありそうで、さらにその理由に沿った理詰めだけではないなにか跳躍も感じる。どれもそんな要素をそろえた、とてもいいブックデザインで好きです。読む必要はまじでないので、1冊くらいインテリアとして置いておくの、おすすめですよ。