日記を書いていた時期がある

 

 いちおうこのブログは毎日更新しているけれど、日記と言えるかというとちょっと微妙なものである。

 お出かけしたあとにそのときのことを書いたりとか、たまたまリアルタイムにはまったYouTuberとかについて書くときは、いちおう日記的な要素が含まれたりもするけど、まったく日記的な要素がない回もけっこう多い。

 

 これはある程度日記っぽい。

 

 日記ではないが、その当時新しく親しむようになったコンテンツ、という側面から日常生活のことを書き表している、というふうに考えれば日記として読むこともできなくはない。

 

 これなどは完全に日記ではない。

 

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 ただ、完全に日記と言えるようなものをつけていた時期もある。「高校1年生の6月~高校3年生の4月くらい」と「2016年4月~2020年6月」の2時期だ。*1

 

 最初の時期の日記をはじめたきっかけはおぼえている。高校生になって、毎日たくさんの出来事が起きていて、……でも、その大半を最終的には忘れてしまうんだろうなと思いいたって、それが非常にもったいないことのように思えた、というのがそれである。

 2回目の日記は、……なんで書きはじめたんでしたっけ。日記の最初の日とかを見ても書かれておらず謎である。

 

 なんか心境に変化があったような気がするんだけど……。これに限らず、僕は自分宛に書き残すものでも肝心なところをあまり書かないというくせがあって、覚えているときはいいんですが、覚えてないと謎だけ残るんですよね。心境の変化はぼかすんだけど、その結果なにをしたとかなにが変化したとかはちゃんと書いてあるし。

 

 ちなみに高校時代の日記は「受験勉強が本格化してきて、一日中ペンを握って答案を書いたあとにまた日記を書くのがばからしくなったから」、2回目の日記は「ブログを初めて、なんか重複した内容を書くことが多くなって片方時間の無駄だなと思ったから」という理由で止めている。

 

 2回目の日記、終わる半年くらいまえから最後の日に近づくにつれすこしずつ文の数が少なくなっていき、最終日には「なにもない。」とだけ書かれて終っていたのでちょっと面白かった。宇宙の最後まで生きてた人みたいでなんかタフでいいですね。

 

 ちなみにどちらの日記も基本的にはその日あったことを箇条書きで書いて、それに対してだるかったときは「疲れました」とか、殊勝なときは「反省して次に繋げたい」とか、良かったときは「最高だった」とか「またこのみんなで集まって何かやりたいね」とかひと言書いて終わるだけのシンプルなものである。

 

 もっと実存的な思春期の悩みとか青年期の葛藤とかいろいろあったはずで、その痕跡はあるんですけどね。やっぱり肝心なことがあまり書かれていない。ので、読みかえしてもそんなに感慨がわかない。あんまりつけてる意味ない日記だったかも。

 

今日の教訓

肝心なことは、書いたほうがいい。

 反省して次に繋げよう。

*1:前者と後者で年の指定のしかたが違うことにとくに意味はない。(どちらの日記も現物が手元にあって参照できるのだが)、前者の日記には年単位の日付記載がなく、後者にはあって、前者の正確な年はちょっと計算しないとわからないけどまあ絶対年代は書かなくていいか、となったからです。