ひとりはこの回でも話題にした大学時代のロシア語の先生だった。
……落ちこぼれ学生からするとなかなか恐怖の先生で、トラウマもけっこうあり、学生時代はこの授業がある金曜日が来るのが憂鬱だった。
なのでけっこう無意識下に封印している記憶のほうが多いと思われるのだけど、いくつか鮮明な記憶もある。鮮明といっても、わざわざ人に話すほどでもない、とくに大きな意味があるわけでもないワンシーンなのだが。
ロシア語なんて勉強しても pic.twitter.com/dSmhbAmnUV
— soudai (@kageboushi99m2) 2015年2月5日
そのなかで最大なのは、単位がかかった口頭試問のとき。もうこれ以上留年するわけにはいかないので、ちゃんと勉強して臨んだ……、というわけではなく、むしろかなり挫折して、やけっぱちで挑んだ試験だった。
「あなたはロシアに行ったことがありますか?」と聞かれて「いいえ、私はまだロシアに言ったことがありません」と答えるセクションでは、否定形の言いかたが正直わからなかったのと、実際僕はその時点でロシアに行ったことがあったので「はい。私はロシアに行ったことがあります」と答えた。
×をもらいそうになったが、本当に真剣な顔で(「いや、僕はほんとうにロシアに行ったことがあるんです」みたいなことを伝えられる語学能力もないので、顔と声の調子に頼るしかない)、なんども「はい。私はロシアに行ったことがあります」「はい。私はロシアに行ったことがあります」と繰り返したら、「あ~、あなたはほんとうにあるんですね」といわれて、なんとか伝わってなんとかなった。
試験の後半では「飛行機」を表す単語がわからず、苦し紛れで「アエロフローチェ」(日本でいうJALとかANAみたいなもの)でカバーしたら、失笑されて、「まあ、あなたはそれでも、まあ、いいでしょう」といわれてOKになった。
ありがとう……! 奇跡の存在、人間の優しさ、クズみたいな俺をそれでもありのまま包んでくれるこの世界の「愛」を感じたロシア語の口頭試問だった……。今日感じた感謝を忘れずにこれからもこの素晴らしい世界を生きていたいと思った……!このまま皆が幸せでいれる世界でありますように……!
— soudai (@kageboushi99m2) 2015年1月23日
試験直後の僕のツイートがこれである。あまりに重い緊張から解放されたからか、おおきくはしゃいでいる。
その先生の名前は、ロシア語で「希望」という意味の単語だった。それも覚えている。
もうひとりは、そのロシアに行ったときにモスクワの宿で2日間だけ同室だったミーシャさんというひとである。たしか僕より3歳くらい年上で、出身を聞いたら「キエフ」と答えた。医大生で、メタル、……とくにメタリカが好きで、荷物には大きなアコギを持っていた。
演奏しているところを撮らせてもらった動画があったのだけど、機種変のときに失くしてしまった。おたがいのもっていたノートに、記念におたがいの名前を書いた。これは今でも残っている。
「ウクライナ語では『私』はЯ(ヤー)というんだ」と、身ぶり手ぶりとちょっとの英語を交えて教えてもらったので、お返しに「僕」という字を書いてこれが日本語の一人称だと教えてあげた。すると、「僕」という字を見てミーシャは「This is Monster?」と真顔で言った。
それがかなり鮮明に思い出せる。外国人には漢字はモンスターに見えるらしい。
そのあと、彼が宿を出るという前日の夜には、モスクワの夜の街をふたりで散歩した。言葉はなにひとつ通じなかったので、めちゃくちゃ楽しかったかというとそうではないのだけど、まあでも多分いいひとだった。
結果的、個人的に人生で、ちょっとだけだけど、かかわったことのあるウクライナ人は全員とてもいいひとだった。彼ら彼女らが身の危険を感じることなく、幸せに暮らせることを祈っている。