1次元が好き いくつかの例証

 

 1次元で整理・配列された情報が生理的に好きだなあ、と思うことが多い。系統や類型別に区分けされた2とか3、4次元に配置されたものよりも、雑多のものが1個のラインで並んでいるほうがうれしいのである。

 

 これはおそらく、僕のけっこう本質的な特徴で、1次元を好んでいることを示す例が自分の生活のなかにいくつも見つかる。たとえばTwitterのタイムラインがとても好きだということ。おたがいに関係がなく、文脈も話題も共有していないさまざまな情報源からの情報が、一列に並んでいるのを受け取るのがとても性に合っているのである。

 Twitter社は多次元人のために、ハッシュタグやリストなど、情報をいくつかの軸で整理する機能も提供しているが個人的には使ったことがない。複垢もない。……そもそも設計的に、Twitterはやっぱり1次元の人のためのプラットフォームで、多かれ少なかれそれに適したひとが集まるのでしょう。

 

 scrapboxevernoteは触ってみたことがあるがまったくなじめなかった。使いこなせる人はスマートで知的……! というイメージがあるのでちょっと悔しい。

 

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 1次元を好むのは昔からである。たとえば、高校・大学のころは自習用のノートは1冊しか持たず、すべての科目のノートを1冊にまとめてとっていた。国語のページが2ページ続けば、つぎは数学が7ページ、そして英単語の書き取りが3ページ、というふうに。

 そのノートをひとに見られたときには「やっぱ頭いいやつはなんか頭の作りが違うな」などといわれた。所属する集団のなかでなにかしら卓越しているポイントがあるときは、わかりやすくそれに関係ある「変わった」習慣も同時に持っておくと、キャラが固まるので助かる。

 

 その後も1次元のなかで生きている。そもそも、最大の趣味である読書というのがもっとも1次元的な行為である。読書のなかでももっとも好きなのが、事項をまとめた辞典的な本を頭から読んでいくこと。……いろいろな教科書も、必要なところをつまみ食い、ではなく頭からしっかり読んでいくほうが好きだった。もちろん、「まえがき」とか「第何版への序文」みたいなところも正直全部読んでしまう。

 

 部屋の片づけをしないのもきっとこれが理由だと思う。「これはこれを入れる場所なのでここに」「それはああいったものを詰める場所なのでここに」といったふうに片付けがされると、一見整理されているように見えるんだけど、それは多次元人の視点で!多次元配列として整理!されるのであって、「すこしずつ物事の自然な動きにしたがって散らかっていく部屋」という1次元のプロセスが、めちゃくちゃになってしまってあとをたどれなくなるのである。*1*2

 

 このブログにカテゴリがないのも、そういった理由によるものである。

 

 

*1:このあたりの事情は「片づけだけが正解じゃない - タイドプールにとり残されて」という回でも書いた。

*2:ちなみにこういう脚注は1次元ではないので、読者として読んでいるときに出てきたらぜんぶ無視している。(こういうふうにかっこで入れてほしいな)。か、本文を読み終わったあとにまとめて読む。