『ドルジェル伯の舞踏会』は恋オタクにおすすめ

 

最も貞潔でない小説と同じほど猥りがわしい、貞潔な恋愛小説

フランソワは喜びをいくらか分かち合うために友人に会いにきたはずだった。だが、彼は急にひどく淋しくなった。実際、彼は一人きりだった。皆にもう成就したものと思われている恋を抱えて、一人きりだった。

幸福そうにぼんやりとしているフランソワを見ると、彼女はときどき不安に襲われた。そんなとき、彼女は彼の名前を呼んだ。子供がしんと静まり返った光景を怖がったり、誰かが身動きしないか、目を閉じているかすると、死んでいるのではないかと思ったりするのと同じだった。ただし、彼女はそんな子供っぽさを素直に認めようとはせず、いつも適当な口実をひねりだした。

 

 『ドルジェル伯の舞踏会』を読んだのですが、もうとてもすごかった。恋愛に限らず、憧れとか社交とか、いろいろな色がある人間関係のなかでいろいろ頑張る人間を見ているのが好きなオタクは読んで絶対に損はしないと思う。

 

 まずとても文章が良くて、華美だったり「どや!」みたいな言い回しがあるわけではないんだけど、人間の心理や様子、ひととなりが正確に描かれている。しかも、正確なのにそのひとつひとつがこれまで見たことがないくらい新しいんですよね。

 そういえば人間にはこういうところがあるな、人づき合いをしているとこういう心境になったりするな、というような、言われてみれば「あるある」となるんだけど言われなきゃ気づかないし、それまで誰もふつうには言ってこなかったよなということをあたりまえのように書いている。

 

 描写がうまいだけではなく、全体の構成もかっちりと決まっている。かといってあまり面白くない、話の整合性をつけるための部分もほとんどなく、どこを切り取って読んでも面白い。話のテーマに直接関係ない場面や、あんまり主人公たちとつながりのない脇役までも、登場する意味がある。ただでさえ、それらも「正確に」描かれていて単純に読んでいるだけで楽しいのに。

 

 オチも完璧だし、ストーリーのひとつひとつの曲がり角で「ヒッ」って鳴き声*1が漏れたり、無意識に腕が動いたりした*2。こんな小説読めることないですよ。これを20歳で書いているのは化け物。

 

夫と妻は黙り込んだまま駅の構内を出ようとした。そのとき、ふとアンヌがこう漏らした。「こんなに早く夕食を済ませてしまうと、途方に暮れてしまう。この後、何をしたらいいのやら」

 マオは夫に感謝した。彼女が感じていた漠然とした気分を、じつに単純明快に説明してくれたからだ。

「鶏みたいに早寝するかい?」

「あなたの行きたいところに行きましょうよ」ドルジェル夫人は答えた。

*1:オタクの鳴き声。

*2:例を一か所挙げるなら、セリューズ夫人の馬車が通りかかるところ。