右脳の時間

 

 条件が整っているとき、いままで聴いたことのないランダムな音やいままで見たことのないランダムな画像・映像を頭のなかで見たり聞いたりすることができるじゃないですか。

 あれがとても楽しくて、――でも、ふだん起きているときに感じるような楽しさではなく、その最中にいるときは「たのしい」と理解できるようなものではない、それ以前の満足感があるような形で楽しくて、けっこう好きなんですよね。「今日は条件が整っているっぽい」と思うと積極的になれないかトライしてみがちだ。

 

 静かでひとりの場所じゃないとなかなかそれにはなれない。認知能力に負荷がかかるインプットやアウトプットの作業をしたあとに仮眠をとろうとするとなりやすい気がする。夢を見ているわけではない。意識はちゃんとあるのだけど、反省的に意識を捉えるのがちょっと難しくなる。事後に想起するのも難しい。

 その状態からはふつうに抜けることもできるし、そのまま寝ちゃうこともできる。どちらの方法から抜けても、満足感に変わりはない。

 

 これを勝手に「右脳が左脳の支配を脱した」時間だと思っている。昔、『神々の沈黙』という本を読んだ。

 この本には「古代人の脳は右脳と左脳が独立していて、右脳からやってくる声を左脳が解釈して古代人は行動を決めるのだけど、右脳からの声は神の声だと解釈された。ある時点で人間の知性は発達し、右脳は左脳の管理下に置かれることになり、人間は神々の声を聞くことができなくなった。この仮説を支持する証拠は、古代ギリシャの神と人間が出てくる叙事詩の記述(単語の使い方など)を分析したり、現代のシャーマンだったり脳の機能を外傷などで局所的に失った人々の例などを見ると、みつかる」と言ったことが大まかに書かれている(細かいところは違うかも)。

 

 大学のときに遊びでとった脳神経科学の授業でも、左脳を怪我して摘出してしまったひとが、これまでにはありえなかった写実的な絵を描けるようになるのだけど、脳がしだいに左脳の働きを右脳の一部で代替するようになる*1と、しだいに描く絵から写実性は失われ、以前同様の線で輪郭をなぞっただけの下手な絵に戻ってしまった、というケースを学んだ。

 

 ……なので、疲れたとき、とくに論理や言語といった左脳っぽい活動をして左脳が右脳よりも疲れているとき、右脳のほうが力が強くなって、自分の外側からきたかのようないままで聴いたことも見たこともない音やイメージが勝手に表れてくるのであり、その経験を楽しんでいるのではないかと思っている。これが「右脳が左脳の支配を脱した」時間である。

 

 僕はたぶん左脳の力のほうが強く、意識のあるときはたいていなにかの考えごとをしているし、していないときはTwitterを見て、そとからなにかしらの文字を入れている。空白のときも好きだけど、あんまり長続きしない。空白でも考えでもなく、イメージや音で意識が埋まっている状態は、特別な時にしかならないのだけど、特別な満足感がある。

 ……この比率はたぶん、ひとによってけっこう違うのでしょう。

 

f:id:kageboushi99m2:20210912030648j:plain

*1:脳には、どこかが失われてもほかの部分が失われた機能の穴を埋めるようになる、という性質がある。