ギャガー事始め

 

 ちょっとした気の利いたことを言ってはじめてクラスメイトを笑わせたときのことをおぼえている。小学校5年生の給食時間のことで、目の前にはお調子者のリーダー的な感じの男子がいて、そのとなりには影響力強めの声の大きい女子たちがいた。僕はクラスになじんでいるとは言えない微妙な立ち位置にいて、クラスメイトと話さないといけないときになにを話していいのかまったくわからなかった*1

 

 そんな状態で内心緊張して給食を囲んでいるとき、面白いことがふと浮かんで、いつもだったらひとりの心のうちにしまっておくのだけど、そのときは場の空気もとても和やかだったので勇気を出して言ってみたのだ。そしたら、グループのひとたちがみんなとても笑って、とても自己効力感が得られたのをいまでも思い出せる。

 

 そして、こうも思った。「なにを話せばいいかまったくわからないときは、面白いことを言って相手を笑わせればいいんだ」「笑っていると場がとても良くなるし、なにより、人が笑っている間は自分は何もしゃべらずに済む」

 

 ……それから長い月日が経ち、さまざまな試行錯誤と成長を繰り返した結果、笑いに頼らずともなんとか他人とコミュニケーションを取れるようになってきたのだが、それと同時にギャガーとしてのハングリーさを失いつつある。

 あのころ人を笑わせることは、厳しいスクールカーストの世界で生き残っていくメインの手段であり、綿密な準備と考察、空気とタイミングの察知、失敗のダメージを最小限に抑えるリカバリーと成功のあとのアフターフォロー、……といったさまざまな段階を内に含むパーソナルな大事業だったのだが、今では「まあたまには笑いを狙ってみてもいいか笑」というような、大金持ちの実業家が会社を売却したあと小規模でやる慈善事業のようなものになってしまっている。

 

 ギャガーはやりがいのある役割だ。始めるときが一番難しい。「この人は面白いことを言うひと」という立ち位置を確立するのが大事で、そのポジションが取れていない場で急にギャグを言っても、相当頑張らないと「え? 急にどうした?」みたいな空気になってしまう。しかし、言わないことには立ち位置は確立できない。この一見矛盾する状況をうまく切り抜けて、徐々にギャガーになっていく、そのプロセスが本当にチャレンジングで楽しい。楽しいだけではなく、……人生のある時点までは、それがコミュニティのなかでうまくやっていくことそのものだった。

 

 そしてコミュニティから離れるとき、コミュニティが解散するとき、自然と終っていくとき、……それにともなってギャガーとしての役割がなくなるときがとてもさみしい。もちろんコミュニティがなくなっても、そのうちの何名かと友人関係が続くことはたまにあり、それはすばらしいことなのだけど、その関係性のなかにギャガーのポジションはない。

 友達というのは、友達が笑っている間はなにも発言しなくていいから楽、というようなスタンスを片方が取ることのできないつながりということで間違いないでしょう。笑うとか笑わせるとか、間を持たせるとか、不安を感じずに済むとか、そういうのではない、もうすこし前向きでバリエーションに富んだやり取りをしたほうがいい。

 

 コミュニティに新たに属する機会というのは最近かなり減ってきた*2。あの楽しくやりがいのあるギャガースタートアップを、余裕を持ちつつ、そのうえでなんとなくハングリーさを取り戻してもう一度やりたい、という気にならないことはないが、なかなか人生というのはタイミングが合わないものだなと思った。

 

 

*1:本ばかり読んでいた。

*2:新しい友達が増える、ならともかく。