今日も仕事をさぼりながら*1、YouTubeでクサヴァー・シャルヴェンカのピアノ協奏曲3番を聴いていた。
仕事をさぼって音楽を聴くとき、ふだんは音楽を再生しているブラウザはバックグラウンドに隠しておきイラレかなんかを開いて作業をしているふりをしている*2のだが、たまたま広告をスキップしようとするところで上司がうーんと伸びをし、僕の画面が視界に入ったみたいだった。
画面には、こういう、五線譜が曲に合わせて移りかわっていくYouTubeクラシック動画が写っていた。
上司が「おや?」と覗きこんできた感じが気配で分かったので、僕はバックグラウンドにブラウザを急いでしまおうとしたマウスの動きをやめた。いま、「YouTube見てなかったですよ」というふうにふるまうのは、自分が仕事をてきとうにこなして空き時間にYouTubeを見ていることに後ろめたさを感じている、というふうに映ってしまう。さぼりのコツは、堂々と当然のようにやることなのだ。
上司「へえ、○○(僕の名前)ってクラシックとか聞くんだ」
ぼく「まあ~、そんなに聞かないですけど、聞くときは聞くって感じですかね」
上司「俺はクラシックなんて一切聞かないな。……。でも、そういえば、俺昔会社のイベントでオーケストラを見に行ったんだけどさ。そのとき、なんか一曲だけ、すごい良かったんだよな」
ぼく「マジすか、熱いっすね」
上司「なんて名前の曲だったっけな……、めっちゃ印象に残って覚えてたんだけど思い出せん」
ぼく「あー、忘れるときは忘れますよね」
そのときの会話はそんな感じで終了したのだが、そのあとすこしして、上司がチャットで送ってきたのが、レスピーギという作曲家の名前と、「ローマの松」という曲の名前だった。
レスピーギは、名前をうっすら聞いたこともあるけれどとくに作品を聞いたこともない音楽家で、「ローマの松」というのはまあ初耳だった。名前の感じからしてイタリア人だと思ったので、「あ! 知ってますよその人。聴いたことはないですけど。たぶんルネサンス時代くらいの古い作曲家ですよね」と、知ったかぶりのチャットを返した。作曲家で有名なイタリア人は大体古い時代のひとである。
最初の数小節を聞いて、明らかに現代寄りのテイストをしていたので、知ったかぶりをしてチャットまで送ったことのダサさを重く受け止めたが、同時にとても、僕にとっても「いいな」と思えるような曲だったので深く満足して感動した。
ふだんそのジャンルに馴染みのない人が、1つか2つだけの例外で知っていて自分の琴線に触れたと感じて名前を憶えている、愛好家のサークルの外に名がとどろくほど有名なわけでもない作品、……というのを教えてもらってそれを見たり聞いたり読んだり感じたりして見るというのは希少で満足感のある体験だ。
もし、べつにジャンルに馴染みはないけど、たまたま知っていて好きな、べつに有名ではない作品があるひとがいれば教えてくれるとうれしいです。