急にポストモダン文学っぽい記述を読むとうれしい

 

 という本を読んでいた。民族単位の、なんかこう、生きざま?みたいなのを描く民族史というのはあるけれど、それを国家単位でやって、国家というある意味人工的に区切られた共同体を単位にしつつ、そこに含まれたりはみ出たりする大小さまざまな人間集団やネットワークの相互作用を描く試みとしよう! ……というかなり強く弓を引き絞った学問的決意表明!みたいな理論編と、筆者のフィールドであるセネガルでさまざまなセクターにいる人々の記述をしつつその「国家誌」をやりましたよ、という実践編のふたつの部分からなる本でした。

 

 途中、セネガルの首都、ダカールで起きた清掃運動について記述した部分がかなりポストモダン小説でちょっとうれしくなりながら読んだ。

 

一九八八年から八九年にかけて、ダカールの青年層のなかから「清掃運動」が一斉にわき起こったのである。「きれいにする」を意味するウォロフ語のSetをもとに、Set setal という標語が生まれ、「セト・セタル」という言葉を耳にしない日はないというほどの一大清掃運動が地区から地区へと広がったのである。直接のきっかけはダカールの清掃会社員がストを起こしたことにより、ゴミの回収がなされない状態が続いたことらしい。ダカールの中心街、下町を問わず、生活ゴミが大量に放置されたままになったのだが、誰がはじめに組織したのかは分からないまま、セト・セタル運動は広がった。

ダカール市の各所に堆積したゴミの山の清掃、道路清掃に続いて、建物の壁、路面上へ大きな絵が描かれ、さらに歩道上にはきれいに色塗りされたさまざまな「芸術作品」が設置されるようになった。筆者は九〇年の秋、ダカールに滞在していたが、その時においてもセト・セタル運動は盛んになされており、道路清掃、および路面上への絵画を描く若者たちは、その作業中は道路を一時的に封鎖し、そこに来あわせた自動車運転手からは「作業協力費」として小銭が徴収され、支払わない限り、迂回路への通行も止められるようになっていた。

地方部の道路は舗装が悪く、路面に多くの穴があいていることが普通である。そのような道路を車で走ると、道路端にスコップなどを手にした一〇歳前後の少年たちを見ることがある。彼らは、車が近づいてくるのを目にすると、スコップを使い、あるいは両手で道路端の砂や土をすくい、路面に空いた穴に投げ入れる。車が穴に落ち込まないよう、走りやすいようにという「配慮」である。このような場面に出くわすと。運転手は車のスピードを緩め、少年たちに小銭を投げてやるのが礼儀ということになる。少年たちは道路の「美化、安全化」をしているのである。セト・セタルという文化運動はダカールで生まれ、地方部に波及している。

 

 これ、穴を埋めるだけじゃなくて、車がこない時間はさっき埋めた穴をもっかい掘っていたらいいですよね。穴を掘って埋める、って非生産的な労働のたとえ話になりがちだけど、この場合ではインフォーマルセクター労働になりうるという。