ドラえもんに出てくるロボ子のマンガを描きました。 pic.twitter.com/dJQGeMwmit
— 井上篤史 (@bezieer) 2021年3月20日
井上篤史さんというかたが描いたドラえもんのファンフィクションを読んだ。そのあとに、このツイートを引用リツイートして、「ドラえもんの二次創作ものって、昨今のドラ泣き映画だったり、昔インターネットで出回った『最終回』だったり、安易なお涙ちょうだいものになるのはなんでなんだろうね」とちょっと皮肉るようなコメントをつけているひとを見かけたのだけど、この4ページの小作品「ランダム・アクセス・メモリーズ」は、すくなくともそれらと同列に言えるような「安易なお涙ちょうだいもの」ではないと思う。
Random access memory(ランダムアクセスメモリ、RAM、ラム)とは、コンピュータで使用するメモリの一分類である。本来は、格納されたデータに任意の順序でアクセスできる(ランダムアクセス)メモリといった意味で、かなりの粗粒度で「端から順番に」からしかデータを読み書きできない「シーケンシャルアクセスメモリ」と対比した意味を持つ語であった。
トモダチロボット*1のロボ子がのび太くんを見送る。そしてのび太くんが帰ってくるまでの間に、ロボ子はタイムマシンに乗り、のび太くんの人生のさまざまな時点にアクセスする。
年老いて死を待つのび太のとなりには、動かなくなったロボ子がずっと座っている。のび太はロボ子に「しばらく、一緒にいてくれないか」とお願いし、ロボ子は「わたしはずっと、のび太さんといっしょにいます」と答える。
そのあと、ロボ子は死んだのび太の墓を訪れ、学校から帰って来て『手術廻戦』の続きを楽しみにしているのび太を出迎える。
タイムマシンがあっても、自分の人生を好きな順番に生きることができるわけではない(未来や過去の自分に、現在の自分として会いに行くことはできるが)。ただ、自分にとって大事なものが、自分が生きる自分の人生ではなく、ずっと側にいたい愛しい特別な他人であるならば、タイムマシンさえあれば、その人の人生をまるごと、いつでも好きな順番で享受することができる。
そういうふうに、愛する人の人生をまるごと所有する?みたいな生き方をしているロボ子の感覚が、わりきれない奇妙さを残しながら提示されていて、それが一番面白いところではないだろうか*2 。
いちおうはお涙ちょうだい的なテイストはあるのだけど、それだけを作品の狙いとしているような作品ではない。
ちなみに僕はダフトパンクのランダムアクセスメモリーズを好きな曲だけランダムアクセスして聞くときは、この曲をよく聞きます。
*2:おなじテーマが扱われた同じ作者によるべつのファンフィクションもある。https://twitter.com/bezieer/status/1368578021280546819